週間ブログ拍手ランキング【06/29~07/05】

2017年07月05日 18:25

06/29~07/05のブログ拍手ランキングです!


かつて朝廷が関白職を設置した由縁を 16

河村の才知 12

広高には少しも悪しきことはなかった 11
我の外孫なれば我が子に准ずべし 10
島津のこと、それがしに征伐を命じられれば 10

一日の間貸され候へ 9
それが白指山西琳寺である 8
淀殿に仕えた各務兵庫の娘 7
御留守に任じて 4


今週の1位はこちら!かつて朝廷が関白職を設置した由縁をです!
秀吉が自らに関白職を与えるのを躊躇する朝廷を論破するお話。慣例を実力で突き破る、いかにも秀吉らしい逸話ですね。
厳密に言うとこれは史実ではなく、実際には秀吉は、近衛前久の猶子となり「藤原秀吉」として関白に任官しています。
豊臣姓下賜はそのあとですね。
ただ、このお話は、おそらく、当時これを書いた人も読んだ人も「そうだよなあ」と思ったであろうかとが重要だ、と思います。
このお話の中に、当時の人々の『高位高官とはいかに有るべきか』、という思想が読み取れるように感じます。
必ずしも史実に則さない逸話でも、見方次第で非常に興味深いものとなるという好例のようなお話だと思いました。

2位はこちら!河村の才知です!
これも非常に興味深いお話で、戦うべき時は先手を取るべきという中世の自力救済の世界と、先に手を出したものが罰せられる、
自力救済を否定した近世の、2つの価値観のせめぎ合いが見えてきますね。
戦国的には、即時開戦が正しい思考でしょう。そもそも実際に枝城が攻められていなくても、百姓間の境相論が紛争化した
時点で開戦の理由と出来たのですから。しかし近世はそうではありませんね。一義的には当事者間の交渉で、それが
まとまらねば上級権力(幕府)の裁断、という形で紛争は解決されます。実力(武力)の発揮は禁じ手に成っていたのですね。
河村さんはこの時若年であったとありますが、若年だからこそ、「近世の思考」を自然に身に付けていたのかもしれません。
そんなことを考えさせてくれる逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!広高には少しも悪しきことはなかったです
寺沢広高というのはなかなか評価の難しい人で、そもそもは三成や小西行長に近い人でありながら関ヶ原で東軍についたり、
キリシタンに改宗していながら禁教令にともない改宗、弾圧者に身を翻すなど、非常に権力遊泳に秀でた人物のように
見えます。また天草の石高を課題に申請し、過酷な統治により後の天草の乱の原因を作ったともされます。
しかし一方で非常にストイックな武士敵性格を持ち、また所領の経営を重視する、近世大名の先駆的存在でも
あったようです。
このお話からも、当時も寺沢広高の評価というのは難しいものだったのだな、という印象を与えられますね。
そういう面でも、興味深く読んだお話でした。


今週もたくさんの拍手を各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ ▽ ` )
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >>広高の逸話紹介
    課題・武士敵性格、誤字でしょうか?

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