ここに松を植えたので

2017年07月05日 18:31

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/05(水) 17:39:23.39 ID:qhAAv/+d
 毎日城を見廻っては普請などを命じ、朝飯は城より弁当を取り寄せて、
所構わず道端や堀の端で食事をし、その日の普請の当番には声をかけては話を聞いた。
侍屋敷の前では畳を一、二帖借り出して敷物とし、結構な仕立てを嫌って、いかにも質素であることを好んだ。
 寺の門前に無用な植木などがあれば、この木を掘り除き、茶を植えて信徒たちに茶を分け与えるよう指示した。
また知行所は残らず見て廻り、農家の周りに堀があれば用心は田中に任せよと言い、堀を埋め立てさせ稲や畑を作らせた。
年貢高を決めるための調査には自ら赴き、作柄の見立てを行って収穫のよしあしに従って年貢率を決めたので百姓たちは喜んだ
 また、罪人があると、首を切る代わりに荒地の開墾をさせるこのような仕置きは九州小倉の越中殿にも聞こえていた。
知立から西尾の間にある三里に及ぶにし野という芝原を囚人たちを使って開墾させ、
ここに松を植えたので後にここは松原となって毎年塩木として売る事ができるようになった。
(石川正西聞見集)

塩木(海水を煮沸し塩を作る際の薪用の木)

田中吉政、岡崎時代の統治


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    岡崎での田中吉政の見事な統治が
    九州小倉まで鳴り響いたかのような話だが
    吉政が岡崎城主だったころ、
    越中殿(細川忠興)は丹後の大名だったわけだし

    柳河城主 田中吉政の岡崎時代のいい話が
    小倉の忠興にまで聞こえていたということなら
    いまでいう福岡県の西の端の話が東の端まで届いたという
    レベルの話なのかな?

    福岡の水害が、これ以上ひどくならないように
    祈るばかりだ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    石川正西聞見集は1660年成立の文書
    内容がかぶってるttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6877.htmlの名将言行録は1869年成立

    石川正西聞見集を参考に名将言行録が引用したと見ていいんだろうね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    実際、田兵衛さんは灌漑等の技術に長けていたとも言われますし、街作りは上手だったのでしょう。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    この人の造った町、どこも美しくて好きだ。町が美しいのでこの人が気になるようになった。
    近江八幡、柳川、岡崎 どの町も水が美しくて住む人から愛されている。 
    他に彼が関わった町はあるかな。

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