長顕、軍に従えないことを憤って

2017年07月07日 17:34

79 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/07/07(金) 06:18:01.37 ID:E7nZay3K
 長顕(田中吉次)、軍に従えないことを憤って、父に訴えたけれども許されず、長顕手勢30騎ばかりを引具し忍び出て、父に先立って馳せ参じた。
(田中)吉政これを聞いて大いに驚き、池田侍従(輝政)に事情を告げた。輝政が吉田城を守らせていた竹村彦右衛門のもとに早馬を立て、長顕を押し止むべき由と下知した。
長顕は吉田の城を避けて本坂城を過ぐるところを竹村は追いかけて吉田の城に伴わせようしたところに輝政より飛脚が到来して、止める必要はないという。
是は徳川殿、長顕の志の程を感じ許すことによって父子共に向かう
(藩翰譜)

関ヶ原時、東海道の大名が自分の城をと人質を家康に差し出すも吉政の人質が江戸からが逃げてきたという逸話

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/07(金) 06:26:22.82 ID:E7nZay3K
いい話に書いちゃったけどまあいいか


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    このころから、吉政と吉次は折り合いが悪かったのだな
    関ヶ原後、吉次は家康の許しを得て父より一足先に柳河入りするくらい
    やる気満々だったのかもしれないが…
    後に吉次が柳河を逐電→廃嫡となるから
    ほんとに仲の悪い父と子だったのだな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    昌幸「人質として差し出した先から勝手にいなくなるとは酷い話だな」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    忠興は忠利に指示して秀忠勢に従軍させるように仕向けてたね。
    あちらはこの逸話とは逆で、出陣は許されなかったけど褒賞されたという話でしたが。

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