祁答院河内守良重、妻に殺されること

2017年07月08日 21:05

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/07(金) 20:37:56.91 ID:PrBVm7dg
城巡りをしている鹿児島の親戚が「鹿児島には夫を殺した怖い姫様がいる」と言ってたので調べたらこんな話があった。
薩摩藩の「本藩人物誌 国賊伝」より
祁答院(けどういん)河内守良重、妻に殺されること

祁答院氏は渋谷氏の一族であり、良重は13代当主で妻は島津薩摩守(島津家の分家)義虎の姉。
「人となり驍勇にして能く強弓を引く」
入来院、東郷、蒲生等と徒党をなして数年島津貴久公に叛いていた。
蒲生氏が島津の加治木城を攻め、島津貴久が良重の籠もる岩剣城を攻めたところ、
良重の嫡子重経が蒲生軍とともに2千人を引き連れて、貴久と戦うが戦死。
岩剣城が陥落したため良重は逃亡、帖佐城、祁答院と落ち延び、蒲生や東郷とともに再起を図るが
島津貴久軍に敗北。

永禄九年正月十五日、良重夫人の為に殺せらる。
良重、生来放逸荒淫。夫人、その所業を諌めれども用いず。
ここにおいて、この夜酒を勧め酔い伏したるを夫人、手ずから良重を刺殺す。
この時良重が小姓、村尾亀三、左右に宿直す。
則ち屏風を以て夫人を押さえ、また刺殺す。
ここに至りて祁答院氏滅ぶ。享年四十一。祁答院の所領悉く入来院重嗣の有となる。



943 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/07/09(日) 22:20:50.89 ID:1EgqCX8r
>>938
小姓の村尾亀三は後に義久公に召し上げられ、元服後は村尾源左衛門と名乗る。
(祁答院記)
元服後、村尾源左衛門と名乗り、入道の後は笑清と名乗る。義弘公の下高名
を得る。(宮之城記)
祁答院良重についてこんなサイトを見かけました。
秋津島舞(アケスメロ)(鹿児島県さつま町)
http://www.senjudou.com/blog/ppBlog/index.php?UID=1377062519

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/09(日) 22:32:02.21 ID:XNinJIxW
貴久、義久に通じていた村尾が二人を殺して
「夫人が良重様を殺したから自分が夫人を討ちました」
と偽装工作した、てことだったりして
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    宗麟「駄目な夫だと、女は苦労するのう。」
    輝元「本当だお。それに比べて儂らは、女には優しいお。」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この祁答院良重は虎居城(とらいじょう)の城主で後に島津歳久が城主になっている。
    また、祁答院良重は島津歳久とともに大石神社に祀られている。
    金吾様踊りと焼酎「金吾さあ」
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-9431.html
    大石神社
    ttp://www.kagojinjacho.or.jp/search/hokusatsu/satsuma/post-192.html
    夫人を討った小姓は今史料を持っていないのでうろ覚えだが、この事件の後島津本家に
    取り立てられたはず。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    その小姓て村尾重候ですね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3殿
    自分が読んだ史料では元服後の名は村尾源左衛門
    となってました。重候の名は知らなかったです。(※2)

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    道雪「お前ら」
    隆景「二人とも」
    元春「折檻な」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    本レス944さんの意見ありそうだな。
    前にさつま町の史料館に行った時に、「良重を悪く書いているのは島津家の史料ですから
    100%信用できるとは・・・」と言われたことあるから。
    よく書いている史料もあるし、歳久とともに神として祀られているし、
    実際のところ良重がどんな人物かつかめない。

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