乍去十五年おそく候

2017年07月28日 16:09

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/28(金) 03:42:04.31 ID:GkcDtqOG
大坂より御帰陣の時のこと、権現様(徳川家康)は、その日は三嶋に御一宿の
はずが、ただちに小田原へ御越しになられ、大久保五郎左衛門(康忠か)を

召し出されて今回の御軍功を御吹聴なされた。大久保は御答えして「殿はよき
御巡り合せでしたね。でも15年遅かったですね」と申し上げた。

(殿は能御仕合にて候。乍去十五年おそく候と申上候。)

権現様は御勝軍に御喜びのあまりに、「その方にも2万石を取らせようぞ!」と
仰せ遊ばされた。すると大久保は御答えして、「殿は唐までも欲しいのですね。
私は2万石でも嫌です、欲しくないです」と、達て辞退申し上げたという。

(大久保御請に。殿は唐迄もほしく候べし。私は弐万石もいやにて候とて。)

だが実は不足の心であったという。五郎右衛門は七郎右衛門の兄の子である。
また新八(康任か)の祖父である。

――『武功雑記』



21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/29(土) 03:35:02.37 ID:3N0XHs1a
>>19
権現様は後にこれを聞き、「不足なのはもちろん知っていた。だが大久保の者は面倒くさい故、
あえて取らせなかったのだ」と語った。

――『俺の想像』
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    やっぱり三河者だ

  2. 名無しさん | URL | -

    いやーめんどうくさいですねえ

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