週間ブログ拍手ランキング【08/10~/16】

2017年08月16日 11:26

08/10~/16のブログ拍手ランキングです


それ故弾が力なく 13

留守は要らない 12

どうして昼寝などしていたのですか? 7
こんな道の付け方が 6
ともかくも仰せには 5

○ 源斎窟(旧坂本村千旦林) 2
○ 安造穴(旧福岡町高山) 2


今週の1位はこちら! それ故弾が力なくです!
「合戦が始まった時」をこういう所で判断したのか、というお話。
なるほど当時の鉄砲は一発づつ弾薬を詰めていたわけですから、敵が近づいてきて焦れば、よほどの熟練者以外は
その作業もぞんざいになり充分な威力のない弾丸も、多く出たことでしょう。弓ほどではなくても、やはり腕前の差は
出たのでしょう。このあたり、雷汞や金属薬莢が発明され、銃弾の威力が威力が均一化、規格化した近代の戦争とは
全く違いますね。
こういった現象も経験則として、当時は知られていたのでしょう。そしてそれが戦場の様子を把握する要素にも成っていた。
近現代の常識とは別の常識が当時存在したことを教えてくれる、良い逸話だと思います。

2位はこちら留守は要らないです!
昨今の関ヶ原理解の主流になりつつある、「小早川秀秋は合戦以前から裏切っていた」「あらかじめ東軍だった」という解釈に
近い内容ですね。そしてここで現れる秀秋像は、創作物などでよくある気弱で優柔不断なものとは全く違う、かなり
果敢な決断力に富む性格の人物として描かれています。後世に軍記物で問い鉄砲の話が広まる以前の、小早川秀秋の
世間での印象の一端が現れているのかな、などと感じてしまいますね。
こちらも実に興味深い内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!こんな道の付け方がです!
上杉家中が堀尾家の戦の仕方を批判したお話ですが、これも実は、様々に解釈できる内容だなと思いました。
端的に言えば、ただ単に、堀尾家の合戦知識の衰退という話ではなく、実際に堀尾家の経験してきた機内西国の合戦と、
上杉家が経験してきた東国の合戦のあり方が相当違ったのではないか、という事です。
大阪の陣という、全国各地の大名を大阪という一点に集めた中で、そういった合戦の「文化摩擦」が、あらためて出てきて、
それが、やはり「東国大名」であった徳川政権化で、東国大名の発想のほうを正しいとする形でこのように逸話とされた
のではないか、という解釈です。
逸話の意図的には無論、「合戦知識を保持出来ていなかった家が、知識を保持していた家から笑われる(だから武家は
合戦の知識を守りた保たなければればならない)」ということでしょうが、元をたどるとそういうこともあったのではないかな、
なんてことを考えました。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
又気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してくださいね!
( ´ ▽ ` )
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