東照宮御奇瑞記

2017年08月26日 13:21

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 04:29:53.80 ID:SRqGYAZ3
一、東照宮(徳川家康)薨御の前日、元和2年4月16日のこと。

榊原大内記(照久。久能山東照宮祭主)を御前へ召されて、御他界遊ばされた
ならば御遺骸を久能山へ葬り奉るようにと、御廟の地まで委細を仰せ付けられ、

「其の方は新肴初物などを常々献上しており、その志を深く思う。我の他界以後
もますます久能にあって、神主役を奉公仕るように。

東国の状況については、いずれも被官の大名であるから、逆心の者も生じまい。
しかし一方で、後々まで西国については心許なく思っている。

西国の乱逆が生じないよう守りをなすので、宝塔を西向きに建てて衆徒4人を
差し置き、知行は50名(石の誤り?)ずつ遣わして、神前の勤行を致すように」

との旨を、仰せ付けられた。

一、権現様(徳川家康)御在世中の御秘蔵の御馬は、御宮近くに御厩を建てて
そこに入れ置いた。その馬は数度そこを離れ出ても、直に御宝塔の方へと参り、

前足を折って嘆く様子に相見えたが御他界の御年の7月、また御厩を離れ出て
御宝塔の裏道の石垣際まで参り、前膝を曲げて死んだ。

一、島原一揆の元旦、御拝殿(久能山東照宮)に1桶ほどの量の血があった。

一、同じ朝に、御神前の御装いの御鏡(鏡餅)が1飾りなくなった。

一、同年、禰宜頭の高津権左衛門が番所で臥し申しておったところ、

夜半に(東照大権現が)御鎧を御着なされて、御馬にお乗りになられ、御瑞垣の
内をお廻りになられた。「油断して寝申しておる!」と、御叱り遊ばされ、

御馬の足音が聞こえた。その後に御宝塔の方で馬のいななきを聞いたとの由を
権左衛門は確かに申した。

一、この以前は禰宜の番所は御瑞垣の内にあった。番所にて当番の者が大声
で物語り仕ると御内陣より、「やかましい!」と御叱り遊ばれたと、その時の当番
の者たちが確かに申したとの由である。

――『東照宮御奇瑞記(久能山の社僧等がもてる書)』



174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 12:10:41.97 ID:B+cFrsO4
>>173
一、同年、馬の鞍に1握りほどの味噌があった。
スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >174のレスで全部台無しw

  2. 名無しさん | URL | -

    >東国の状況については、いずれも被官の大名であるから、逆心の者も生じまい。

    (`●∀・)「おうよ、任せてくんな」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    174は掲載しなくてもよかったのでは?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    いつまでもいつまでも味噌ネタでいじりゃいいってもんじゃねえぞ
    …と思いはすれども笑ってしまった

  5. 人間七七四年 | URL | -

    味噌ネタは創作だろ!いいかげんにしろ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    神君「やっと寝れると思ったら、見回りは寝てるし、当番長は騒ぐし、おちおち寝てられないじゃないか。」

    実は久能山祭主が、見回りに渇を入れるため甲冑を着て走り回ったり、騒ぐ当番長に「やかましい」と怒鳴ったのを「神君」と勘違いした。ってオチじゃないかな。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    権現様「教えてくれ・・・・・俺はあと何人に弄られればいい?」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    「直虎」では、三方原の戦いで、神君が婆さんに追いかけられたり、糞漏れになるのかな。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    とある天台座主「戦に味噌は付きものじゃ。さすが用意がよろしいのう」

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/10923-982ef210
この記事へのトラックバック