158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/02(月) 09:48:09.84 ID:I3B0BlWP
永井隼人佐道利は、濃州金山城の城主であったが、織田信長による美濃平均の時流浪し、
その後足利義昭に仕えた。
ある時、摂津において、池田正勝を追放し池田衆を率いる荒木村重と、和田伊賀守(惟政)とが相戦う
ことがあったが、この頃、道利が和田の元へ使節に参った。その時、合戦について言った
「今の敵に対する軍立ては心得られませんし、地利も良くない。ここは待って戦うべきです。
さもなければ必ず敗北するでしょう。」
しかし和田は
「池田衆との戦では、普段から見方が少人数でも大利を得ている。池田方の兵の事など全く気にならない」
そう、大いに侮った。
和田は糠塚に陣をはり、荒木は馬塚に陣をはっていた。
この間は、荒木の方がつま先上がりの地で、和田方のほうが地形低く、掛かりやすい場所であった。
果たしてこの日、和田は敗軍し、義昭の使節であった永井道利も巻き込まれ討ち死にした。
これを摂州白井河原の戦いといい、元亀2年(1571)8月28日の事だという。
(士談)
永井隼人佐道利は、濃州金山城の城主であったが、織田信長による美濃平均の時流浪し、
その後足利義昭に仕えた。
ある時、摂津において、池田正勝を追放し池田衆を率いる荒木村重と、和田伊賀守(惟政)とが相戦う
ことがあったが、この頃、道利が和田の元へ使節に参った。その時、合戦について言った
「今の敵に対する軍立ては心得られませんし、地利も良くない。ここは待って戦うべきです。
さもなければ必ず敗北するでしょう。」
しかし和田は
「池田衆との戦では、普段から見方が少人数でも大利を得ている。池田方の兵の事など全く気にならない」
そう、大いに侮った。
和田は糠塚に陣をはり、荒木は馬塚に陣をはっていた。
この間は、荒木の方がつま先上がりの地で、和田方のほうが地形低く、掛かりやすい場所であった。
果たしてこの日、和田は敗軍し、義昭の使節であった永井道利も巻き込まれ討ち死にした。
これを摂州白井河原の戦いといい、元亀2年(1571)8月28日の事だという。
(士談)
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コメント
人間七七四年 | URL | -
この永井通利って斎藤道三の次男と三男の謀殺に手を貸した人だよね。
( 2017年10月02日 15:14 )
人間七七四年 | URL | -
この時辺りの摂津の状況ってわけが分からん。あと多分池田勝正の事だよね?
で、追放したのが池田知正。
池田家も行き成り当主追放して、しかもまた次の当主を追放して元家臣に吸収されるって
何がどうなってるの?
( 2017年10月02日 16:24 )
人間七七四年 | URL | -
義昭「ちょww和田がUCHIJIに!?ww」
( 2017年10月02日 18:56 )
人間七七四年 | URL | -
池田は摂津国人衆の中でも荒木含めた一族・家臣団の力強くてしょっちゅう内紛起こしてるから割と平常運転
( 2017年10月02日 19:57 )
名無し | URL | -
池田勝正って地味に信長から高く評価されてたんだっけ
( 2017年10月02日 22:38 )
人間七七四年 | URL | EybeWf1w
勝正って金ヶ崎のときは本隊の指揮を執ってたんだっけ?
( 2017年10月03日 21:31 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
長井
じゃないの?
( 2017年10月04日 04:07 )
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