328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/18(水) 20:19:59.21 ID:QI+GkoqQ
鬼松出たか、堀出たか
細川家臣・堀内傅右衛門は赤穂浪士を預かったときに接待役を勤め
『旦夕覺書』『堀内傳右衛門覚書』などの著書を残した。
曾祖父にあたる堀内構之助は池田輝政に五百石で仕えていた。
以下は『旦夕覺書』からの引用。
祖母の妙菴は構之助殿の一人娘で幼少の時に鬼松と名付けられ
とても大切にされていたので十二、三才までは、門前を池田輝政公が
お通りされる時には召し連れてお目通りさせたので
「鬼松出たか、堀出たか」*
と(輝政公が)毎度おっしゃられたと(自分が)幼少のときに聞きました。
老父は昔話が好きで、妙菴に構之助殿のときの備前の名のある侍や
物事を尋ねたときには、誰は知行何程それは番頭足軽頭と
(妙菴が)一々覚えていて話されたことを(老父が)覚えています。
昔は他にも(妙菴と)似たような人が多くいたそうです。
(中略)
昔は女でも武士の子は男子の心を持っていたのでございます。
* 恐らく名字の"堀内"にかけた洒落
329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/19(木) 10:46:43.50 ID:XGaKRpq4
鬼松は何だろうと思って調べてみたら妙菴の幼名かよ
331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/21(土) 20:28:54.82 ID:nnJM5Bc+
>>329
ちゃんと本文を読みなされ
鬼松出たか、堀出たか
細川家臣・堀内傅右衛門は赤穂浪士を預かったときに接待役を勤め
『旦夕覺書』『堀内傳右衛門覚書』などの著書を残した。
曾祖父にあたる堀内構之助は池田輝政に五百石で仕えていた。
以下は『旦夕覺書』からの引用。
祖母の妙菴は構之助殿の一人娘で幼少の時に鬼松と名付けられ
とても大切にされていたので十二、三才までは、門前を池田輝政公が
お通りされる時には召し連れてお目通りさせたので
「鬼松出たか、堀出たか」*
と(輝政公が)毎度おっしゃられたと(自分が)幼少のときに聞きました。
老父は昔話が好きで、妙菴に構之助殿のときの備前の名のある侍や
物事を尋ねたときには、誰は知行何程それは番頭足軽頭と
(妙菴が)一々覚えていて話されたことを(老父が)覚えています。
昔は他にも(妙菴と)似たような人が多くいたそうです。
(中略)
昔は女でも武士の子は男子の心を持っていたのでございます。
* 恐らく名字の"堀内"にかけた洒落
329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/19(木) 10:46:43.50 ID:XGaKRpq4
鬼松は何だろうと思って調べてみたら妙菴の幼名かよ
331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/21(土) 20:28:54.82 ID:nnJM5Bc+
>>329
ちゃんと本文を読みなされ
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コメント
人間七七四年 | URL | -
戦乱の時代は、生き残る為には女性でも戦わないといけませんでしたからね。男性と対等にしないと生きていけません。そういえば、池田家は「六姫」という鬼姫がいませんでしたっけ。
真田家でも「鬼の小松」と呼ばれてた女性がいましたね。
( 2017年10月21日 13:21 )
人間七七四年 | URL | -
>男性と対等にしないと生きていけません
亀寿姫は女性でただ一人示現流を習得したそうですが、そんな思いがあったのかも。
(仙巌園であった、なぞ解き戦国島津でこのことが出ていました)
ttp://www.senganen.jp/event/%e3%81%aa%e3%81%9e%e8%a7%a3%e3%81%8d%e6%88%a6%e5%9b%bd%e5%b3%b6%e6%b4%a5/
( 2017年10月21日 21:50 )
人間七七四年 | URL | -
※2
亀寿は悪久に虐げられ続けた薄幸の女性では必ずしもないと思う
むしろ正嫡の誇りを持つ強い女性であり、強くあろうとしすぎたのが災いを招いたのではないかと思う
立花宗茂のような出来た人でもそういうタイプの正室を敬遠したことを思うと
久保の妻で居続けられたとしても軋轢は避けられなかったかもしれない
( 2017年10月21日 22:25 )
人間七七四年 | URL | -
※3殿
自分も亀寿姫が薄幸の女性という見方はしていませんね。
島津家を繋いでいくという思いが示現流を学ばせたのかなと思いますね。
久保とは仲がよかったので軋轢は避けられるのではと(個人的には)思います。
( 2017年10月22日 00:07 )
人間七七四年 | URL | -
鬼松で検索したら、例の6つ子が出てきた・・・
( 2017年10月22日 12:31 )
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