FC2ブログ

秀次の趣向

2017年10月20日 16:31

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/19(木) 22:36:35.75 ID:5AVF+jbi
関白豊臣秀次が、筑紫において藤原定家の書いた小倉の色紙を手に入れた。
これにより座敷を改め、色紙開きの会を開いた。
千利休を上客として、相伴3人という会であった。

頃は卯月(4月)の二十日あまり。明け方の事であった。
人々、座敷に入ったが。そこには明かりも無く、闇の中に釜の沸く音だけが聞こえ、
いかにも静かな様子であった。

「これは一体どんな御作意であろうか」

その場の人々がそう思っていたその時、利休の後ろの明かり障子が、ほのぼのと明るくなった。
不思議に思い障子を開けると、月の明かりが座敷の内にほのかに入ってきた。
さればとにじり寄って見ると、小倉の色紙がかけ物として飾られていた。その歌は

『時鳥 啼きつる方をながむれば
  ただ有明の月ぞ残れる』

誠におもしろき趣向にて、その時利休をはじめとした人々も、「さても名誉不思議のご趣向かな」と、
同音に感じ入ったという。

(今古雅談)



スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉もそうだけど、秀次も当代の文化人感心させる位の教養有るんだよな。

  2. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    養父の影響かもね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    笑岩様もこれにはニッコリ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    笑岩様もこれにはニッコリ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    父と養父の影響を少しずつ受けた結果
    「オシャレを自慢するタイプ」(吉房)
    「地味に武闘派の副将格で地味」(継潤)
    「茶も歌もこなす教養人」(笑岩)
    「極端な女好き」(秀吉)
    という妙に多角化した人物像に。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    最近になって、こういう教養人としての姿や、秀次の内政は及第点以上の物だったとか、小牧長久手で家康に手玉に取られてからは一生懸命武芸の嗜みをつけようとしたとか、切腹の沙汰があったときに家臣の多くが進んで後を追ったとか、以前に流布されていた殺生関白のイメージと全然違う秀次像が出てきて、本当は殺しちゃいけない人を殺しちゃったんじゃないかな…。という気がしてくる。多分、そういう人だったのなら関が原に立ってたのは秀次だろうし、最上や一豊を始めとして東軍につかなかった武将もいたかもしれない。たらればの話するとキリがないけどね。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    公家と渡り合える教養があるから秀吉も秀次を関白にしたかもしれない。秀頼が生まれたことにより、秀吉は「自分は、秀頼が成人するまで生きてないかもしれない。自分が亡くなったら、秀次は、秀頼に関白を譲るか不安だ。」って思いが常にあったから、秀次を亡きものにしようと思ったのかも。

  8. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    秀次の高野山行きって公家の日記には追放じゃなくて出奔したって書いてあるんだってね

    矢部説だと原因は謀叛ではなく天皇よりも先に診察させたことへの詰問
    切腹命令も秀吉じゃなくて三成たち奉行の連名で出されてるから創作を指摘してる

    そうなると謀叛嫌疑への抗議の切腹からはかなり格落ちな感じがするなあ
    そもそも抗議という意味で切腹する必要があるのだろうか?

    だから秀吉は切腹するだけの理由を謀叛に求めてでっち上げ妻子を処刑したって矢部説ではなってるけど、どちらにしろ秀吉の屑っぷりは変わらんなあ

  9. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    ※5
    謡抄を作らせたり東国遠征でもかなり派手に書物の収集やったりと、どちらかというと文化面に傾倒した人なんだろうね
    文化の拡充で国を治め富ませようとしていた、とかはさすがに深読みだろうかw

  10. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉だって能やってんだし

  11. 人間七七四年 | URL | -

    秀次は側室の数と云い、蔵書・筆・刀剣の収集と云い、何かを集める事にご熱心だった模様。
    集める行為自体が好きだったのかな?
    しかも、それらの道具を使いこなす技量の研鑽にも努めていたみたいだから、興味のあることには
    トコトンのめり込むタイプの人かな?

    現代人だったら、何かしらの野球カードやトレーディングカードとかのマニアになってそうな気がするw

  12. 人間七七四年 | URL | -

    優秀な人だけど文武両道の化け物がゴロゴロいるなかでは突き抜けた印象はないんだよね
    特に初陣からずっと一手の大将だったせいか槍働きの実績が乏しいのがキツイ
    よき敵の首の一つも上げたうえでの教養ならもっと同時代の評価も高かったと思う

  13. 名無しさん | URL | -

    あっ、ひゃくにんいっしゅでみたことあるもんだいだ!

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    秀忠「戦場に居ただけマシ」

    秀次と秀忠って女性関係を抜けば本質的には結構似てると思う。
    個人の武士としては文武両道で勤勉実直。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    (叔父が)殺生な関白ってコメントを随分前に見かけたが

  16. 人間七七四年 | URL | -

    殺生関白であるのも事実なんだけどな
    名刀マニアで刀を褒美にだす関係上(当時は試し切りしていないと価値がない)人斬りにはまってしまったし
    当時は大名が部下や領民を手打ちにする事なんて珍しくもなかったけどね

    太閤記書いてた人は秀次に仕えていたから、秀次謀反は否定して書いたけど、こういう人だから仕方ないよね、みたいな酷い書かれ方してたし

  17. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    名刀マニアというか豊臣における刀剣鑑定人だから罪人斬りが仕事みたいなものやん?

  18. 人間七七四年 | URL | -

    武家としては奨励されることでも関白としてはどうよってことだろうか
    近衛前久も大概はっちゃけた人だけどさすがに据物斬りはしてないんじゃないかな

  19. 人間七七四年 | URL | -

    ※16
    そもそも試し切りは罪人が用いられて処刑のついでだとか、もしくは死体を使っての物が一般的ですし、
    それを持って殺生関白云々言うのは無理筋だと思うよ?
    また、「こう言う人」の部分だって怪しいし、年がら年中切ってる訳ないでしょ?

    秀吉政権下での関白が今までの公家の関白と違う以上、同じ目線で物を考えるのも慎重になるべきだと思う。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/11001-87a915f9
この記事へのトラックバック