FC2ブログ

山口きらめーる255号より

2017年11月03日 20:59

219 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/03(金) 05:23:44.99 ID:Do5pozMZ
途中送信しちまったい

http://kirara.pref.yamaguchi.lg.jp/mag/html/vol255/web/omoyama.php

山口きらめーる255号より

毛利元就と陶晴賢の決戦が行われた厳島の合戦。主に毛利方で後世に書かれた軍記物では陶軍2~3万対毛利軍4~5千と語られるこの戦、
山口県史等に研究記載された話としては、戦死者は主に陶氏の家臣や山口県東部の周防国側の大内氏家臣、厳島神主家の家臣である神領衆の一部で
山口県西部に居た大内氏有力家臣の内藤氏や杉氏の参戦は無く実際の陶軍は1万居るか居ないかの戦力であったのでは無いかと言われている。
実際は軍記物で語られる様な兵数差が4倍を超える程の差は無く、毛利元就の軍が寡兵を持って自軍の数倍に値する陶軍を破ったと言うのは毛利側(で軍記物を書いたK川さんの)の誇張では無いか?
と言う悪い話



スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    コレは関ヶ原で言えば上杉征伐が公儀の戦いでなく大老同士の私戦だ!
    と他の大名が中央で傍観してたら、上杉が事前予測を裏切って徳川を滅亡させて
    勢いそのまま豊臣政権を倒しちゃったって感じなのかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    1殿
    リンク先見たら弘中隆兼の手紙の話が載ってたけど、
    宮島に渡った時点で弘中隆兼は負けを覚悟していたみたいよ。
    元就の策がハマったっちゃあハマった必然の勝利なのか、たまたまなのか…
    陶晴賢が山口県西部の大内氏家臣団を連れて来れなかったのは吉見氏の抑えもしないといけなかった状況みたいですし

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/11022-278f79a0
この記事へのトラックバック