266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/08(水) 12:43:43.33 ID:twusLRGw
備の場にて馬を取り放してしまっては、必ず味方の破れにつながるので、聊かも疎かにしてはならない。
賤ヶ岳の合戦で、柴田方であった前田利家の備が敵と交戦する前に崩れたのは、前田の家臣であった
三吉左吉という者が馬を取り放してしまい、それゆえに備が乱れ。佐久間玄蕃同時に崩れたのだ。
この時、前田の旗奉行である横山半喜(長隆)という者が討ち死にした。これはあの横山山城(長知)の
父である。旗の立てよう、見事であったという。
また関ヶ原の時、近江大津城攻めは9月15日に行うと決定していたが、13日に毛利方の吉川家の者が
陣屋において馬を取り放し、殊の外なる騒ぎとなったのを、共に大津城攻めに参加していた立花家の者達が
「さては中国衆は、我々を出し抜いて城を攻めるのか!」
そう勘違いをし、柳川衆はそうはさせるかと攻め掛かり、二、三の郭を乗っ取った。
柳川衆のこのような行為を見て、中国衆もまた攻め掛かった。
これらは、みな馬を取り放してしまったために起こったことである。故に、陣屋、備の場ともに、
馬を取り放さない心得がなくてはならないのだ。
(士談)
備の場にて馬を取り放してしまっては、必ず味方の破れにつながるので、聊かも疎かにしてはならない。
賤ヶ岳の合戦で、柴田方であった前田利家の備が敵と交戦する前に崩れたのは、前田の家臣であった
三吉左吉という者が馬を取り放してしまい、それゆえに備が乱れ。佐久間玄蕃同時に崩れたのだ。
この時、前田の旗奉行である横山半喜(長隆)という者が討ち死にした。これはあの横山山城(長知)の
父である。旗の立てよう、見事であったという。
また関ヶ原の時、近江大津城攻めは9月15日に行うと決定していたが、13日に毛利方の吉川家の者が
陣屋において馬を取り放し、殊の外なる騒ぎとなったのを、共に大津城攻めに参加していた立花家の者達が
「さては中国衆は、我々を出し抜いて城を攻めるのか!」
そう勘違いをし、柳川衆はそうはさせるかと攻め掛かり、二、三の郭を乗っ取った。
柳川衆のこのような行為を見て、中国衆もまた攻め掛かった。
これらは、みな馬を取り放してしまったために起こったことである。故に、陣屋、備の場ともに、
馬を取り放さない心得がなくてはならないのだ。
(士談)
スポンサーサイト
コメント
人間七七四年 | URL | -
てーきとーう
( 2017年11月09日 07:25 )
人間七七四年 | URL | -
勘違いで攻めて占領するのもなかなかだな
( 2017年11月09日 10:38 )
人間七七四年 | URL | -
丁斐「はははは、なっとらんのう」
( 2017年11月09日 13:32 )
人間七七四年 | URL | -
森山崩れも馬が原因だったね
( 2017年11月09日 16:33 )
人間七七四年 | URL | -
「雑兵物語」にも、馬を離してしまうと戦どころじゃなくなるくらいの騒ぎになるから、しっかりつないでおくようにといった話や、脚を棒にくくりつけておとなしくさせる方法等が紹介されてたな
( 2017年11月10日 07:06 )
人間七七四年 | URL | -
ひょっとさん「馬は危ないので牛に乗ってきたよ」
( 2017年11月10日 13:34 )
コメントの投稿