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かかるお情け深き主君のためには

2017年11月12日 16:37

400 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/12(日) 16:26:23.36 ID:ROgrEiQQ
松平広忠エピが少なかったので投稿してみます。

ある年の田植えの頃、近藤某という譜代の士が貧乏だったため、自ら田植えをしていた。
松平広忠は鷹狩りの道すがら見とがめ、近臣に命じた。
「あれは誰か。見覚えがあるが連れて参れ。」

近臣たちは近藤が朋輩のため赤面していたが、命令であるので仕方なくこのことを近藤に告げた。

近藤は泥まみれのまま、真っ黒な顔で広忠の前に出た。
近臣達は近藤は成敗されるに違いないと心配していた。

広忠は涙を浮かべてこう言った。
「譜代の士なればこそ、このような暮らしにも堪え忍び、いざ鎌倉という折に身命や妻子を投げ捨てて、代々の主君のために忠孝を励んでくれるのだ。なんじらもおそらく、この近藤と同じことをこの広忠に隠しておるに相違あるまい。早く家郷に帰り、田を植えよ。」

これを聴いていたものはみな涙を流し、
「かかるお情け深き主君のためには一命はもとより、妻子をも顧みず奉公の誠を尽くそう」
と誓い合ったとのことである。



401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 16:31:11.88 ID:pu3bL6ey
できれば出典を…

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 19:34:15.73 ID:IZ4Go9pO
そして年貢を納めろか

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 20:43:18.40 ID:yuwsjLhx
松平家の家臣の忠義って個人的な美談じゃなくて、他国より中央集権的だったからなのかな

404 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/12(日) 20:43:39.39 ID:xEfHF25d
>>402
考え様によっちや休みも副業して働け
忠勤に努めよ


って事か… これはブラック三河武士

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 21:05:55.71 ID:VvYToCE8
側仕えはいいから野良仕事してこいやろ

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 21:39:06.14 ID:NInLM6wR
松平は野良仕事で済んでいる分まだマシ。宇喜多直家さんのところとか貧乏すぎて家臣一同定期的に「絶食の日」を作ったくらいだからな。

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 04:02:56.43 ID:RuCFRyFm
>>406
横だけどソレ知らなかったわ、備前て貧乏イメージ無かったから。

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 05:09:25.65 ID:By1ObXnd
>>407
元々は家が滅んで放浪の末に戻って来て、一家臣になった時の話みたいだから
初心を忘れないように大名になっても続けてたみたいだけど

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 07:19:55.36 ID:GscqnKpT
それどころか盗賊働きもしてた話があったような
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    確か山岡荘八の徳川家康では家康のエピソードになっていたな
    で、三河一向一揆の時に近藤がコレを思い出し家康陣営に帰参する という流れだった

  2. 人間七七四年 | URL | -

    広忠時代の松平家の状況を考えると、内外共にかなり苦労があったろうなと想像する

  3. 人間七七四年 | URL | -

    司馬でもまんが人物日本の歴史でも家康エピだった。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ぶっちゃけ兵農分離の進んでないこの時期の武士なら、よほど上級の家臣でない限り田植えとか珍しくもないような
    況してや支配力が岡崎城近辺に限定される広忠時代の松平家ならなおさら。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    近藤某「手伝っていただけないのですか?」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    こうして次の日には我も我もと田植えに帰郷し、岡崎城には広忠のみが残されたという

  7. 人間七七四年 | URL | -

    広忠も1人なら安心して農作業ができる

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ただでさえ濃ゆい三河武士に野良仕事大好きという新たな属性が追加されてしまった

  9. 人間七七四年 | URL | -

    原哲夫の影武者徳川家康で信康と家康が信長に従って信康に切腹させるかの話をしてる時に家康が信長に叛旗を翻しても信康を死なせないと言おうとしたら、信康がそれなりに豊かになった今でも昔の苦労を忘れずに笑顔で農作業してる家臣か領民の姿を見せ、この家臣(領民)らを守る為なら喜んで死にます。
    て言う感動的なシーンが有った気がする。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ????「母が城内で農作業してる」
    ????「同じように農作業したら馬に踏み潰された」

  11. TOMTOM | URL | -

    三河って太閤検地で30万石あるし、岡崎も5万石ぐらいあったよね。なんでそんなに貧乏なん?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    君はちゃんと時代を把握されていますか?逸話とは言え広忠時代の話ですよ?
    検知当時とこの時で収入に違いがあるなんて当然です。
    ましてや広忠時代ともなれば尚更額面通りの収入が得られたか疑問。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    三河って貧しい土地じゃないし、室町時代は足利一門の地盤として有力な土地だよ。幕府の要人にも三河出身者多いし。

  14. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    幕府の要人を出したり裕福なのは広忠の時なの?

  15. 人間七七四年 | URL | -

    三河は貧しくなくとも、当時三河の実質的支配者は誰だった?
    また、隣の織田と今川に挟まれ常に狙われていた。ってのも考えたら度重なる戦や徴税やらで懐事情が寂しくなるのは想像つきそうだけど…

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    収入の構造からして違うしな

    武士は支配領域全体からまんべんなく徴税できるわけではない
    支配領域の中の一部でしかない私的な所有地からの地代を経費に充てているだけだから
    現代的に言えば地方自治体ではなく一地主が公共事業を強いられているようなもの

    全部の地主が武士で軍役を分かち合ってくれればまだいいが
    寺院が地権者だったり商人が借金のカタに地代の権益を持っていたり
    太閤検地までは権利関係ぐちゃぐちゃなのが割と普通
    天文年間の一国人ごときが領内漏れなく課税するなんて無理な話

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