FC2ブログ

伊予日振島における戦後処理の逸話

2017年12月13日 19:35

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/13(水) 12:36:08.43 ID:RImMcwen
戸次川合戦敗退後、長宗我部元親は伊予日振島に逃れ
桑名将監を使者として、合戦詳細を秀吉公に知らせた
秀吉公はじめてそのいくさの詳細を知り
さても仙石手に合わざる合戦し
信親を討たさつる事の不便さよと仰せられ涙を流された

また合戦の三日後にあたる十二月十五日
大友宗麟は慰問状を日振島の元親に使わし
その内容は以下の通りである

この度のいくさはご挨拶の仕様もないが
無事御渡海の段は安堵に存じます
(長宗我部殿の当方に対する)これまでの様々な件に御入魂の次第は
永々忘却してはならぬ事であります
勝敗については戦場の習いにて、お気になさることもないでしょう
また兼ねて戸次利光城(鶴ヶ城)に差し向けられた鉄砲衆ですが
昨夜全員無事にこちらに帰還いたしました
そちらにお送りしたいと存じますが、船を揃えるのに難儀しており
船便があり次第お送りいたします

天正十五年十二月十五日
                         休庵宗滴判
追伸
 御子息信親戦場の儀については、様々な風聞があり
 未だ実否は分明ならず、奇怪千万な次第です
 こちらで詳細がわかり次第、お知らせ申し上げます

(続く)

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/13(水) 12:37:24.97 ID:RImMcwen
(続き)

信親遺骸返却について島津と交渉しつつ
合戦後十三日目には奥長門守を使者とし
宗麟がこもる丹生島城(臼杵城)へ鉄砲隊を派遣した
その際の書状の大意は以下の通り

この度敗戦の成り行き、都鄙において外聞を失い全く無念な次第です
されども今はお城を固守することが肝要であり
自分も加勢に馳せ、共に籠るべき所ですが
退陣口の仕合、覚悟に任せず困難なため
まずは有り合わせの鉄砲の人数を差し出しますのでお頼み申します

天正十五年十二月二十五日
                         長宮元親判

結局元親は土佐本国に帰ることはなく
敗軍を糾合し、丹生島城宗麟と連携を取りながら豊臣本軍を待ち
翌天正十五年三月の秀長軍到来をもってはじめて伊予日振島を出た

(土佐軍記その他)

長宗我部元親、伊予日振島における戦後処理の逸話である



504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/13(水) 12:57:19.08 ID:b83ZmTWr
この頃は宗滴と号していたのか
スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    土佐に帰ってないのか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    逃げるには逃げたが自領までは行かず途上の要衝を抑えてわずかながら援軍まで出す
    敗戦処理とはいえ大名たるものの甲斐性かくあるべしといったところ

    おかげでセンゴクのまずい事後処理がますます引き立ってしまうわけだが是非もないよネ!

  3. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    奥長門守って息子が山内一豊に仕えた人かな?
    もっとも、 息子の政景は長浜時代の一豊に仕えたみたいだけど

  4. 人間七七四年 | URL | -

    臼杵も危ないって時に元親に配慮できるのは凄いな宗麟
    逸話だとアレな人物なのに書状とかの一次資料だと善良な人物っぽいのが面白い

  5. 人間七七四年 | URL | -

    一応家督を譲られている義統ではなく、宗麟がって部分が実権を握ってる事を匂わせるのかな?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    義統は戸次川合戦翌日には府内陥落→豊前へと落ちのびているので
    残された宗麟がしょうがなく後始末をしてる感じですね

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6殿
    なるほど、感謝です。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/11084-a79e851a
この記事へのトラックバック