長時公は強き御大将であり我儘気随で遊ばされるゆえに

2018年03月14日 22:21

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/13(火) 20:57:56.89 ID:7YYZ2okD
その合戦の後、2,3年の間たびたび合戦があり、神田将監は寝込にあって討死仕った。
その時も良き者が多く討死仕った。神田将監は強弓の精兵で長時公(小笠原長時)の

御家中で一騎当千の兵(つわもの)であり、長時公も惜しく思し召された者であった。
“寝込”とは夜討のことである。出水石見と神田将監は長宗公(長棟。長時の父)も

良く思し召して御使いになった者たちである。長時公に御代を渡された時も、その由緒
を仰せられて2人を御渡しになった。信貞公(信定。長時の弟)へは木下惣蔵と

溝口刑部を渡され、下伊那の鈴木城(鈴岡城?)へ御在城させた。信貞により木下惣蔵
は多科城へ差し置かれ、すなわち多科惣蔵と申して一騎当千の者だった。惣蔵は長宗公
が御取立てした者である。

神田将監が常に申されたことには「私めは長宗公が御取立てなさった者なり。『どんな
ことがあろうとも長時公へよく御奉公仕るように』と、私めは後室様に仰せ付けられた。

信貞へは木下惣蔵を御渡しになり、長時公へは拙者を御渡しになったのである。それ故、
私めはいかようにも御奉公仕る覚悟である。しかしながら、長時公は強き御大将であり、

我儘気随で遊ばされるゆえに、両郡の大身の侍衆は皆不満に存じておられる。ある時、
西牧、瀬馬、三村殿ら両三人の衆が御用あって出仕申されたが、長時公の気随によって
出仕はならず、それゆえに帰り申されたことがあった。

またある時には万西、赤沢、鎌田兵衛尉が出仕したが、これも気随ゆえに御会いになら
なかったのである。また山家が出仕した時も同じであった。かようのことが度々あった
ので、両郡の武士たちは不満に存じておられる。

これは水竹と申す者が出頭(寵愛を受けて出世すること)仕るようになって、長時公へ
申し上げることがあったゆえ、このようになったのである」とのことであった。

――『二木寿斎記(二木家記)』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    武田勝頼も、たとえ滅亡しようが信長の下にはつかんぞ、とか言ってて
    滅亡後に近習から「強い御屋形様でした」と言われたそうだが
    気が強い、てだけであんまりいい意味では用いられないんだろうか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この水竹も勝頼にとっての長坂や跡部のような存在だったのだろうか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    長時は滅亡してから上京して足利義輝の弓の師匠をしていたそうだけど、このころの義輝には武田信虎も仕えてるんだよね。
    どう顔合わせてたんだろうか

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >この水竹も勝頼にとっての長坂や跡部のような存在だったのだろうか
    長坂も跡部も信玄が重用した臣で、勝頼の滅亡に殉じたせいで後世徳川に仕えるようになった遺臣にいいようにスケープゴートにされた感がなあ。

    >どう顔合わせてたんだろうか
    信玄にえらい目にあわされた同士で仲良かったんじゃないかと。基本的に同族意識もあっただろうし。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >>勝頼にとっての長坂や跡部のような存在
    そもそも甲陽軍監自体が多数の誤りをしてきされている以上、人物像に関しても
    かなりの穿った見方がされているのは間違いない。
    真意はともかく、人事に関して一格言持っていた信玄が、佞臣をわざわざ親族へ配属
    させ続けるのも不審に感じる。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    信虎もさることながら長時もまた本拠地を追い出された後の流転ぶりが面白いよね
    信虎は孫の所に戻って(?)天寿を全うしたようだけど、まさか長時本人も会津で変死するとは思ってなかっただろう…
    死因には諸説あるみたいだけど

  7. 人間七七四年 | URL | -

    考えたら小笠原家もよく江戸時代に大名家として存続出来る事になったものだなあと思うな。
    まあ、鉢植大名て云われる位あちこち転封される事が多かったけどね。左遷地として有名な棚倉(宗茂さんの時はそうでは無いが)に行った事も有るし。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    そういう勝頼像はフィクションだからねぇ
    史実の勝頼は信長との和睦を模索しつづけてるよ。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    むしろ甲江和与に希望を持ちすぎたことが全てを手遅れにした気がしなくもない

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    我々は結果を知ってるからそう思うけど、甲江和与を模索した頃には
    信長の勢力が大きくなりすぎてましたからね。

    本気で信長に挑んだとしても正面から潰されるだけだったでしょうし…

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