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後陣も雲霞のごとく

2018年03月24日 21:13

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 01:52:20.88 ID:W5c89APP
後陣も雲霞のごとく


(明智光秀が謀反した後)秀吉は姫路から出陣してきたので
信輝(池田恒興)は兵庫で秀吉を出迎えた。
先公(信長)の不慮の傷害に互いに涙をこらえられずにいたが
力を合わせて光秀を討つことを決め、秀吉と昵懇の間柄となるために
秀次を信輝の婿にし、次男の輝政は秀吉の養子にすることを約束した。

秀吉が尼崎へ着陣すると、池田父子、中川(清秀)、高山(右近)、
惟住(丹羽長秀)らで軍評議があった。信輝は秀吉と共に剃髪し勝入と号し
「さて一番合戦は勝入仕るべし」
と言うのを秀吉が聞いて
「先公がいらっしゃらずとも、先公の御法に任せられよ」
と言ったので、勝入はそれに従い"どのようにでも"と申された。
そういう訳で高山と中川が一番を争い、同士討ちのようになったところで
秀吉が仲裁をして、高山が一番合戦、中川が二番合戦となった。

天神馬場まで軍勢を押し詰めて、すぐ合戦しようという話にもなったが
御弔合戦ということで信孝を待つことになった。翌日、信孝の手勢が
見えたので秀吉と池田で出迎え、互いに涙を流した。

段々軍勢を山崎表へ押し出し、中筋正面は高山、堀久太郎。
南の方の川端は池田勝入父子。天王山の手は堀尾茂助、木下小一郎(秀長)、
同勘解由、黒田官兵衛、神子田半左衛門(正治)、前野新右衛門(長康)。
それより後陣も雲霞のごとく連なった。


――『池田氏家譜集成』


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    信輝名義なんだね。この名前は昔はこちらが有名だったみたいだけど、本当に使われてたのか
    疑問って見たことあったので、逸話以外は段々と廃れていったのかな?

    にしても、信長=先公って・・・なんだかヤンキーっぽいw

  2. 人間七七四年 | URL | -

    確かに『信輝』って何処から来たんだろうね
    信長に近い人物ってイメージ作るためっぽいけど

  3. 人間七七四年 | URL | -

    実際乳兄弟に当たるから近くはある。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    信は当然主家からだけど、輝の字がどこから持ってきたのかが分らないんだよね
    普通は父親からだけど輝じゃないし。

  5. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    というか信長の弟説すらなかったっけ?

  6. 人間七七四年 | URL | F9ckFCGU

    息子から持ってきた説があるはず
    なにせ後世に適当につけた名前だから

  7. 人間七七四年 | URL | -

    晩年に名乗ってた勝入の名前がインパクトありすぎたんや

  8. 人間七七四年 | URL | -

    中入りして負けたんだから負入斎に変えたらええねん(暴言)

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