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私は元々出家ですので、刀を

2018年03月27日 20:13

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/26(月) 20:20:53.03 ID:0L5g/Ngu
江州両佐々木と申すは、六角は惣領であり、近江国人は彼の下知に従った。
京極は庶流であったが、佐々木道誉判官が足利尊氏への忠功莫大であったため、
公方より寵愛され、現在は四職の一つとなっている。

応仁の乱より、京極は細川勝元と一味し、六角は山名宗全に一味して、互いに敵となった。
応仁の乱で山名方が敗北した後も、六角一人京に従わなかったため、公方の御動座(遠征)も
度々行われた。

ではあったが、永正の乱の後は、公方からも細川高国からも頻りに六角高頼を頼るようになり、
六角は足利義稙の味方と成った。
六角高頼は既に老人であり、一男亀樹丸に家を譲った。亀樹丸は後に氏綱と名乗った。

しかし彼は片足短く、立居も不自由であり、現在のような大事の時には立て難いとされ、
次男が吉侍者といい、禅僧として相国寺にあったのだが、彼には武勇の器量があるとの事で、
重臣である多賀豊後守、蒲生下野守、田中四郎兵衛尉らが相談して公方に申し上げ、
還俗して高頼の名代として公方に預けられ、定頼と号した。
公方はこれを喜び、佐々木弾正少弼に任じた。

六角定頼は木刀を腰に挿して公方の御前に参った。公方が「それはどうしたのだ?」
と尋ねると
「私は元々出家ですので、刀を持っていないのです」
そう申し上げた。

公方はこれに笑いだし、国行の太刀を与えたという。
(足利季世記)



732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/26(月) 20:32:17.36 ID:8tO6Yj5w
>>731
まるで無能のような印象の氏綱だけど、実際には10年ほど父の名代あるいは当主として積極的に活動していたみたいだね

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/26(月) 23:36:42.67 ID:cVbL3AHp
毛利隆元に通じるものがある
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    六角程の名門が将軍の御前に参上するのに刀1本用意できないわけがない
    そこをわざわざ木刀で出ていくとは実にあざとい、というか抜け目ないな
    大物の割に人柄がよくわからない定頼の性格が垣間見える貴重なエピソード

  2. 人間七七四年 | URL | -

    うん。面白い。笑いのツボは400年経っても変わらないものだなあ。

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