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弘治三年の大旱魃と大洪水

2018年04月08日 17:35

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/08(日) 14:05:40.67 ID:v/FCPODe
弘治三年(1557)五月二十六日より、八月九日まで、雨が一日も降らず、大災天にて諸国の田畑はみな
干上がった。

同年八月二十六日、まず東風がしきりに吹き、後には南風が吹き、大洪水となった。
摂津国の尼崎、別所、島尾、今津、西宮、兵庫、難波、明石の浦々には津波が打ち寄せ
高潮上がり、その地域の人民は尽く逃散した。
昔、文明七年(1475)八月六日の大洪水のときも、この浦々へ津波が打ち上がったという。
今、その時から八十年余りに当たり各の如くと、古き人は語った。

同四年二月、改元あり永禄元年となった。

(足利季世記)

弘治三年の大旱魃と大洪水について



659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/08(日) 18:09:23.31 ID:s/2PksRy
空梅雨からの旱魃そして台風のコンボかあ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    古文書に詳しくない本業地球物理の人間だが
    「津波」って書いてあるのは「高潮」(気圧が低くなったことによる海面上昇と、風の吹き寄せ)の
    事でしょうか。

    「津波=地震が原因」の発想に凝り固まっておりまして
    「台風と地震が同時に来たらそら大変やな」→「んんん?待てよ」、となりまして

  2. 人間七七四年 | URL | -

    風向きからすると台風なんじゃない?
    ちょうど満潮の時に来てしまったと

  3. 人間七七四年 | URL | -

    米1殿・・・その理解で正しいと思います。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    風向きの移り変わりから、おそらく超大型の台風が摂津付近に上陸したんだろうね
    南西に開いた湾だから、室戸台風や第二室戸台風のような進路を取ったとしたら高潮でかなりの被害が出たと思われる

  5. 人間七七四年 | URL | -

    弘治三年の頃てイングランドでも大凶作起きて人口が15万人以上減る(当時のイングランドの人口は300万人位)事になっていたみたいですね。
    17世紀前半(20年代から40年代)も低温に悩まされて色々有りますからね。欧州は三十年戦争でドイツが荒廃するわ、中国は明が李自成に滅ぼされたり、日本は島原天草一揆やその後寛永の大飢饉起きたりとか有りますね。
    その後も太陽王て呼ばれるルイ14世は実はその治世は天候に恵まれなかった(同時期の綱吉もそうですが、綱吉の場合治世末期は大地震二回に大噴火一回が数年に立て続けてエラい事に)で温度上がるのは大分後代だったかと。(今は上がる方が問題ですが。)

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