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中村作り取りの事

2018年04月29日 12:40

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/28(土) 19:51:42.05 ID:av85IIge
豊臣秀吉による小田原征伐の時、小早川(隆景)といって筑紫の武士が在り、彼は大丈夫
であるとして、秀吉により清州城の留守を申し付けられた。

小早川は尾張中村まで秀吉のお供をしたが、そこで秀吉はこのように言った
「お主に言うのも恥ずかしいことだが、私はこの中村で生まれ、わやく(腕白・乱暴)な事もして
遠州へ落ち行き、松下石見に仕えた。考えてみれば武士ほど面白いものはないな。
ところで、この中村を百姓たちの作り取り(無税)にするというのはどうだろうか?」

小早川も
「かかる目出度き御代です。作り取りにさせるべきでしょう。」
そう申し上げた。しかし秀吉は

「ただ、かつての事、この村には二王というわっぱ(童)がいて、私より少し年長であったが、
ある時、この道筋で二王が刈り取った草を、私が少し取ったところ、この二王が
『遅く来て草を刈ってすらいないのに!』と、鎌の柄にて私を叩いた。
その遺恨、今も忘れない。

二王を呼び出し彼の首を斬って、その上で中村には作り取りを許可しよう。」

この二王はこの時もまだ生きていたのだが、中村の者達は彼はもう死んだのだと申し上げた。
そこで秀吉は「彼に子はないのか」と尋ねた。中村の者達「子も死んで、孫だけは居ります」
と答えた。これを聞くと

「孫ならば本人からも血縁が遠い。苦からず。」

そう言って中村一円の百姓に、作り取りの権利を与えた。

ところがその後、中村の田地一円は秀吉によって召し上げられた。
これは高麗陣の時、秀吉が

「中村の百姓が一人も見舞いに参らない!なんと憎き奴原か。見舞いに来たなら路銀も余るほど
与えたというのに。筑紫から大阪まで船で送ったであろうに!」

そう激怒し、その過怠により田地残らず召し上げたのである。

(祖父物語)



696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/29(日) 10:52:36.55 ID:/MEehMgy
まとめの3189だと市松が仁王が死んだ、と言ってることにしてるな
尾張中村の仁王と福島正則

戦国無双4では秀吉を美化してるせいで
仁王が死んでるのが嘘と気づいた秀吉が
「あのことは気にしてないぞ」と伝言して感動した仁王が野菜を献上するという、韓信の股くぐりの「仇を恩で返す」の類の
話に改変されてたのを思い出す
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    チョットうがった見方をすれば、この時期の豊臣政権は朝鮮出兵のため税率が跳ね上げていたから
    例外なく取り立てるってのを見せるために中村の特権を取り上げて公平を期したんじゃないかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    史実の秀吉は文禄2年11月に自身の生国尾張が衰微してるとして
    3年間の夫役免除と軍役半減を決めてたりする

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