羽柴秀吉と柴田勝家の戦いは

2018年04月30日 17:49

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/29(日) 22:05:21.88 ID:u2Lcbudr
羽柴秀吉と柴田勝家の戦いは、その権勢の争いともいい、また信長公の御妹であるお市御料人が
その言われであるとも申す。

彼女は淀殿の御母であり、近江国浅井(長政)の妻であり、浅井と死別し、その母と
一所におられたのだが、天下一の美人の聞こえ有り、秀吉は彼女へ御臨みをかけられたのだが、
柴田勝家が岐阜に参り、三七殿(織田信孝)と心を合わせ、お市御料人を迎え取り己の
妻とした。

秀吉はこのことを聞くと激怒し、柴田を越前には帰さないと近江国長浜へ出陣した。
しかしここに丹羽長秀、池田勝入が扱いに入り、柴田勝家はお市御料人を同道して
越前への道を通った。

翌年三月、柴田方より近江柳瀬に出陣した。秀吉は大阪より出て近江長浜に砦を築き、
互いに足軽の合戦をしていた。

ここで佐久間玄蕃(盛政)が「かように日を暮らしていては意味がありません。」と柴田に進言し、
賤ヶ岳の下の湖畔を通り高山右近の出城を攻め落とし、玄蕃が直にその城に籠もった。

柴田は玄蕃に「深入りである。早く引き取れ」と伝えたが、玄蕃は「弱きことを言われるものだ、
旗下にて出城の一つも二つも攻め落とすべきなのに、急いで引けとは何事か。」
と引かなかった。

この時の事について、後にこう言われた
『玄蕃は柴田の指図のように引いておけば良かったのである。そこから5日のうちに、
秀吉方に謀反人が出て、柴田方の利運に成るはずであったのに、玄蕃が要らざる強味を出して
しまった』と。

実は筒井順慶が柴田と心を合わせ、秀吉を裏切るよう定めていたのだ。
順慶は其の頃大和伊賀両国を領する大名であり、返す返すも残念なことであった。

(祖父物語)

祖父物語の時点でもう、お市に「天下一の美人の聞こえ」があったなんて書かれていたんですね。
あと賤ヶ岳の時筒井順慶が秀吉裏切ろうとしていた、なんて話は珍しい。



698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/29(日) 22:08:58.58 ID:dJFLIRdd
賤ヶ岳で洞ヶ峠を決め込んだのか
スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    筆者はおはD

  2. 人間七七四年 | URL | -

    織田家へのコネクションを手にしたのに十分に利用できなかった勝家もなんだかなぁ・・・。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    清州会議で秀吉がお市の再婚先に柴田勝家を推している資料が見つかっている現在だとウ~ンな読み物だな
    ただ当時でもそう言われるぐらい秀吉が織田家の血筋を欲して居たのが間接的にでも分かるね
    秀忠もひょっとしたら織田の血筋が次代に有るというのが二代将軍へモノをいったところもあるのかな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    一昔前は確かに盛政が突出し過ぎで撤退命令を無視したから負けたって話しだったけど、現代だと勝家が
    盛政のチャンスを活かし切れずに消極的な手法だったから負けたと言う論調が多くなってきたね。
    順慶の裏切り説は初めて見たので驚く逸話だ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    勝家の敗因、順慶の動向、お市が美人なのかどうか…ウソか本当かはともかく、何にせよ戦国~江戸初期当時の風聞としてどう見られていたのかがわかるのは面白いね

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/11280-295bfbff
この記事へのトラックバック