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日本の歴史を大きく変えた偽メール事件

2018年05月01日 21:09

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/01(火) 00:20:36.62 ID:QiEhFTVJ
桶狭間の戦いの直前、三人の武将が無念の死を迎えた。
二人は鳴海城主山口教継と桜中村城主山口教吉の親子、一人は戸部城主戸部新左衛門である。
三人の城は織田と今川の勢力が衝突する最前線に位置しており、しかも一里以内に集中していた。
どちらがどちらを攻めるにも、ここを落とさねば話にならぬという要衝であった。

この三人、織田信秀の代までは織田家の忠勇なる武将であった。
ところが信長とかいう、うつけの若造に愛想をつかして今川方へ寝返ってしまったのである。
これが今川義元に尾張侵攻を決断させた一因とも言われている。

当時の信長の力量ではこの三人を倒すことは到底不可能。
そこで祐筆に猛練習を命じ、三人の筆跡を真似た偽の書状を作成する。
「信長くんへ、やっぱり義元を裏切って君んとこ戻るわ」
これを商人に変装させた森可成に持たせ、今川方へ持ち込ませた。
さても今川義元、この偽書状を信じ込み三人を呼び出した上まともに調べもせず処刑してしまった。

この事件が無ければ今川義元は悠々楽々と尾張を併呑した事であったろう。
信長は良くて臣従、悪ければ織田家ごと滅んでいただろう。
日本の歴史を大きく変えた偽メール事件である。

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/01(火) 04:51:08.74 ID:QiEhFTVJ
さて、織田家を裏切った挙句に謀殺された山口教継・教吉親子ですが、家臣に成田弥六・助四郎という武将を抱えていました。
彼らもまた、大声出せば聞こえるほど御近所にある鳥栖城の城主でした。(この地域は徒歩一時間で六つの城を回りきれるくらいの城密集地帯でした)
成田氏は赤塚の合戦で山口氏に従って織田勢と戦ったのですが、その後は山口親子を裏切って織田方についています。

この結果、主家を裏切った山口氏の城と、主家を裏切った主家を更に裏切った成田氏の城の間が織田勢力と今川勢力の境界線となりました。
ちなみに山口氏の桜中村城と、成田氏の鳥栖城は200メートルほどしか離れていません。
尾張者のフレキシブルな生き方は、お隣の頑固な三河者と見事な対比をなしていますね。

されどこの成田氏、その後の行跡はあまり残っておりませんが敢えて挙げるならば、
子孫で尾張藩士だった成田甚右衛門がある日突然「平和が好き!戦は嫌い!」と刀を折って帰農したことくらいでしょうか。



705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/01(火) 20:54:47.50 ID:uxusBUfH
>>700
三河者=頑固も後から作られた物語でしかなくて、家康がガチっとまとめるまでは誰もが転身しまくりなんですけどね
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    こういうのは単純に騙されたってだけでなく、
    偽物と知りつつ(あるいは真偽はどうでもよく)、それを口実に家を潰したという見方もできる。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    三河武士も不忠者は粛清されるか追放されるかして最終的に忠義者だけ残ったとも

  3. 人間七七四年 | URL | -

    戦国期三河の研究って一次史料自体が意外に少なくてあまり進展してないからねー
    松平広忠が織田信秀に降伏していたって説もようやく受け入れられ始めた段階だし

  4. 人間七七四年 | URL | -

    信長は偽メール作戦に1年以上かけてんだよなぁ
    同族相手にすらヒャッハーしまくってた頃の信長がこんな涙ぐましくもセコイ努力をしたってことは、山口親子と戸部直政ってどんだけ強かったんだろう

  5. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    ※1のいうように義元にしても国境の山口親子と戸部の処断は渡りに舟だったんじゃないかな?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    三人が強い強くないと言うことでもないんじゃ

    最前線の城主を攻めるということは今川方が助勢に現れる危険性があるわけで
    当時の織田と今川の勢力比を考えれば、信長としても藪を突いて蛇が出るような真似はしたくないでしょう

  7. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    たしか鳴海攻めに失敗して謀略にきりかえたんじゃなかったっけか

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    同族と言っても、苦戦は弟(1回目)くらいだぜ。
    父の代で既に武力も財力も本家(ついでに斯波)を凌いでいたんだから、その比較はおかしい。

    さらに家督継いでから天下布武まで10年以上掛かってて、別に信長って前半生はそこまで動きが早くない。尾張は弱兵って後世に言われるくらい、別に軍事的に凄かったわけじゃないよ。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    美濃制圧に時間がかかったと言うより、美濃を制圧してからの伸長がめちゃくちゃ早いと言った方が合ってるような…
    生産力と動員力の高い中部の大国二つの大半を手に入れればそりゃそれまでとのスピードは段違いにもなるわな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    美濃→安藤・竹中によるクーデター
    近江→観音寺騒動で分解寸前
    畿内→三人衆vs松永の真っ最中

    てな感じで上洛ルート上の勢力がことごとく弱体化していたという凄まじい運の良さも大きい
    しかし織田家の統治能力をはるかに上回って拡大してしまったことが後日足かせになった部分もあり

  11. 名無し | URL | -

    裏切り者はまた裏切るかもしれない、なら、殺せる時に殺しとこう。は、戦国の常識。
    その一方で、主君に対する忠義を貫き過ぎた、菅谷家(みんなご存じ、小田家家臣)なんてのもいる。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    でも寝返り者冷遇をはっきり打ち出しちゃったら、誰も相手を裏切ってくれなくなると思うんだけど

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    北伊勢への攻撃は美濃攻略とほぼ同時だから美濃のリソースは活用できてないんだよね

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    北伊勢は中小勢力ばかりで後ろ盾の六角も退潮著しい有様
    むしろ進んで織田に乗り換えた勢力もあるのではと思いたくなる

  15. 人間七七四年 | URL | -

    しかし信用できない裏切者とはいえ、あのタイミングで殺したのでは意味が無さすぎる
    自分の側へ寝返った者を殺してたんじゃ戦国時代は弱小豪族のまま自滅してる

  16. 人間七七四年 | URL | -

    信長公記によれば赤塚合戦で山口教継ら造反組と戦って引き分けてるね
    戸部城も山口重俊ら(山口教継の従兄弟で造反しなかった方)に攻めさせて返り討ちされてる
    一度は攻めてみたけど歯が立たなかったから謀略するしかなかったってのが正解かな

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