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宗像大宮司より見た大寧寺の変

2018年05月20日 17:51

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/20(日) 17:45:33.12 ID:YeJdzbDA
天文20年8月6日、宗像大宮司氏男と香月次郎左衛門隆光は、宗像を出立して同9日、
山口へと参着した。そして相良遠江守武任を通して、大内義隆に参勤の御礼を申し上げたい旨を
申し入れると、同11日、両人供に築山の御所に召され、義隆より直々に「遠国よりの参勤
神妙なり」との言葉をいただき、また大友や島津の軍謀の事なども聞かれ、九国(九州)の
太平の事を祝し、ご機嫌殊に麗しかった。

そして「両人供に路次の労を休められよ」との仰せにて、宗像氏男香月隆光は自分の旅館に戻った。


このような所、同月26日に、大内義隆の家老である陶尾張守隆房は、主君義隆へ恨みを持つ
事があって、逆心を企て山口を攻めようと若山の城を出陣した、との情報が聞こえた。
宗像氏男香月隆光大内義隆に命ぜられ、五百騎あまりを付けられ千把ヶ嶽に差し向けられたが、
陶方の宮川甲斐守、江良丹後守率いる二千騎と戦いもみ合っている所に、黒川形部より使いが来て、
『山口の搦手が敵に破られ陶勢が乱入し、築山の御所にも火がかけられ、大内義隆は行方も知れず
落ち行かれた』と伝えられた。

宗像、香月は「今は是迄」と打ち揃って長門国へと落ちていくと、付き従う軍勢はみな散り散りとなった。
そんな中、深川の大寧寺に義隆が居るとの情報を聞き、ここを尋ねていったものの、早くも昨日
御自害されたと言われ、両人供に力を失い

「大内殿の家の滅亡は此の時に究った。本来そうする必要のない公卿殿上人までみな討ち死にし、
或いは自害されたという。我ら武門に生まれ、生きて帰って誰に面を向けるべきだろうか。」

そう考え、両人ともに腹を掻っ切って死んだ。あわれという言葉もない。

(宗像軍記)

宗像大宮司より見た大寧寺の変


宗像氏男跡目の事


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    巻き込まれちゃうとか運が悪かったなぁ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    大寧寺の変は大内家中だけじゃなくて山口に下向してた公家衆たちにも被害が出てるからな
    wiki見たけど関白の二条尹房とか武田信玄の舅の三条公親とかも巻き込まれて殺されてるし京での評判はだいぶ下がったりはしなかったんだろうか
    あと宗像とかの神官大名って浪漫があっていいよね阿蘇とか諏訪とか権威と権力の分離ってどうしてるんだろうか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    分離も何も宗教的権威を持った権力ですね。領地も兵力も有りますし。
    西欧でも神聖ローマ帝国とかは司教は領地を持った諸侯ですし。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    東西共に昔っから宗教勢力=権威・権力と武力って切っても切れない関係ですからね。
    むしろ持たないと他に飲み込まれちゃうからって理由もありますし、その地域の代表格
    として持たざるを得ないってのもありますね。
    西洋の場合は布教=武力侵攻や移民でもあるからちょっと意味合い違いますけどね。

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