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宗像氏男跡目の事

2018年05月21日 17:17

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/21(月) 10:14:49.21 ID:14KKaOvu
宗像大宮司氏男が長門国にて大寧寺の変に巻き込まれ自害したことが告げられると、
筑前国白山の城に残っていた家臣の石松加賀守、吉田飛騨守、占部貞安、許斐氏鏡といった
重臣たちは、氏男の先々代の大宮司である宗像氏続入道良喜(氏男の叔父、もしくは大叔父)を
呼び相談した。
「氏男様には七歳の女子、そして今年三歳になる男子がおられます。宗像の家督はまだ、
どちらも継げる状況ではありません。二人の君達が御成長されるまで、良喜様が再び白山に
入られ、大内の御下知を承って宗像の家督に付いていただけないでしょうか。」

しかし良喜は
「私はもう齢70であり、そんな明日をも知れぬ身で大勢の人を扶持しこの乱世に幼い子供の
後見をするなど無理である。その上神宮の祭事なども誰が勤めるべきか。
ここは陶入道全羨(晴賢)の元に使いを出し、大内殿の末葉の人を申し請け、女子に娶らせ
宗像の家督と定めるべきであろう。」

そう申され、家臣団もこれに同意して、占部越後守賢安、大和治部丞秀政を両使として山口に
派遣し、全羨に訴えた所

「その事なら宗像の家に縁のあるものを差し遣わす。ここに黒川形部少輔隆像の子に、鍋寿丸という
十五歳の男子が有る。彼は宗像氏男の妻の、腹違いの弟である。また私にとっては姪の産んだ
子でも有れば、いよいよ鍋寿丸に過ぎたる者はない。彼を元服させ、左衛門尉氏貞と名乗らせ
これを宗像の家督とし大宮司職に任じよう」

と有り、これに良喜入道も家臣団も同意し、「ならば迎えを遣わすべし」と決定した。

ところが、この左衛門尉氏貞がまさに筑前に向かおうとした時、いかなる野心の者がいたのか、
陶全羨にこのように告げた

「宗像の家臣の中には、氏貞を主君とするのは不道であり、幼いながらも氏男の男児があり
これを守り立てようという者たちが多く、この方針に決定し、氏貞を呼び寄せ鴆毒を薦め
殺そうと、相謀っているのだと取り沙汰されています。」

これを聞いて全羨は激怒し、宗像家中に対して使いを出して命じた
『急ぎ、氏男の後室、および女子は藍島に流すべし。三歳の男子は刺し殺すべし。
この義に背くならば白山の城を攻め破り家臣残らず討ち殺す。』
これを再三に渡り伝えられたため、宗像の家臣たちは全羨の威を恐れこの義に従い、
しかし後室、女子を藍島に流すまではないと、山田の邑に隠し置くべきとして、城を追い出し
侍女3,4人を付けて、小さな草庵を結いここに入れ置いた。

三歳の男子は吉田飛騨守が預かって養育するという事になったが、飛騨守は彼の領地である
鞍手郡吉川にこの男子を置き奉ると欺き、乳母に抱かせてそこに向かう途中の山口という場所で
これを刺殺した。
乳母はこの時、慌てふためいて刀に取り付き抵抗したため、彼女も共に刺殺した。
この飛騨守の不道を憎まぬものは居なかった。その後、この男子、乳母の怨霊が祟をなしたため、
一宇の社を建て山口の今宮と号して祭り奉った。

(宗像軍記)


宗像大宮司より見た大寧寺の変

山田事件



782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/21(月) 14:09:08.85 ID:YPbJw9WL
陶さんは、そうやって周囲のうらみを買っていったんですな・・・

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/21(月) 14:15:11.11 ID:/F7cGq/K
文治派憎しで公家殺しまくるというわけわかなことやらかしたしなぁ。アホだよ、陶晴賢は。

毛利云々は置いといても、大寧寺の変の直接的な結果として、北九州はまんま大友にくれてやっちゃうことになるし。

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/21(月) 20:18:50.18 ID:b2R4vdiQ
いやいや北九州を捨てて大友と結んだのは良い選択だと思うよ
後顧の憂いを無くすのは常道でしょ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    後顧の憂いは断ったけど、陶に比肩する武将が軒並み鞍替えしたか居なくなったのは痛かったと思う。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    流石に博多と門司をみすみす捨てるのは選択肢としてありえないと思う
    最低でも博多を抑えていないと。別格の京都を除けば堺と博多の二都市のどちらかを持っているだけで、周辺の大名より経済的に数段有利になるだろうに

  3. 人間七七四年 | URL | -

    すんごいどうでもいいけど宗像氏男って書かれると本名不詳みたいに見える

  4. 人間七七四年 | URL | -

    北九州はぶっちゃけ捨てたわけじゃなくて、失っただけだよね…
    石見や安芸の情勢掌握できてたら、北九州の杉氏の反乱抑え込めたはず。結局のところ謀叛後の権力掌握に失敗してるって話。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    土地や要所を所有していることと維持できる事はイコールではありません。
    例えその場所を押さえていても防衛する事が出来なけば意味がありません。
    むしろ、そこを押さえる為に兵力や国力を割かなければならない。
    経済は得てして収入が先ではなく、支出の方が多くなる事の方が多い。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    大内義隆って、毛利隆元とどこか被るよね。
    居なくなってから明らかに北九州方面での信用度が士民の違いなく落ちて、財政面に影響及ぼしてる。
    義長を迎えて政権を繋いだまではよかったんだろうけど、武断派が文治派を除いてからのグダグダぶりが顕著だよね。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも組織論としては、誰かが抜けた途端に崩壊する体制は組織としては欠陥でしかない。
    組織の仕組みとは誰かが抜けても回るor一定の成果が上げられる状態でこそ組織なわけで。

    武士は戦う事だけが求められているのではなく、統治者としても求められ居る以上、得意不得意が
    多少あっても行政能力は具えていなければならない。
    良く言われている言い訳なのが、「文治派が抜けたから~」とか言うのは最大の間違い。
    文治云々じゃなくて、全体的に人材が居ない理由は育ててこなかったということなのです。
    また、混乱で領地の統治に必要な記録の把握が出来ないからです。

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