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佐野宗綱討死

2018年06月01日 09:32

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/31(木) 22:25:42.80 ID:KVDFnVqS
大抜越中が歳暮に唐沢山城へ登城したとき、主君・佐野宗綱が私的な話として語った
「私は明元日に、名草より足利へ攻め入ろうと思っている。」

これを聞いて大抜は申し上げた
「正月朔日にかけて合戦をするというのは、古よりおおいに嫌われている行為だと言われています。
ですので味方がしっかりと防御の備を成す事こそ、敵の企みにも勝利するものであり、この方針を
取るべきだと考えます。」

これを聞いて宗綱は立腹し、機嫌を悪くした。
この頃佐野家中の家老衆は不和であり、家中では「大抜も小田原への内通から足利への内通へ
心変わりしたか」などと囁かれ、家中は「大抜方」「御家方」と二つに割れ、そのような中
たって宗綱に諫言する者も無かった。

この日、丑の刻に本城において、出馬する馬の先に、白き帷子を着た若い女が現れ歩いた。
人々が不思議に思う中、それはいずくともなく消え失せた。不思議な事であると諸人肝を消した。

足利の長尾顕長より佐野の抑えとして、彦間に置かれた小曽根筑前は、佐野領方面が少々騒がしいと
聞いて、所々方々、山林まで人を出して情報を集めた所、佐野の軍が足利に侵攻する事を知り、
この城に構うことは無いと判断し、妻子以下を山林に密かに隠し、自身は寄騎弓歩の者たちを
召し連れ名草数葉那の寄居場へ馳参り、番の者たちにこの旨を申し入れた。これにより貝鐘立てられ、

まず最初に名草に置かれた芳賀右衛門が半月の指物と馬印にて歩弓を召し連れ馳来た。
2番に柳田隼人、山下播磨、泉新十郎、岩下右近、杉木修理など馳来た所、早くも
佐野の先手である富士源太、山越才吉両人が名草まで打ち出た。
足利では元旦のことでも有りこのような事が起こると思わず、周到狼狽して騒いでいた。

佐野宗綱は強気の大将であったので、旗本後巻ともに勇早めんと考え先を進んだ。
旗本すら追いつけないほど馬を早めたため、御鑓持の一人など、馬の尾に取り憑くほどに
駆けたが、閑間河原で吐血し即死した。旗本勢も早馬にて付いていこうとしたが、大将の御馬は
肝強き故に、4,50町(約4,500メートル)ばかりも離されてしまった。

こうして、数葉那坂まで一人で出てしまった宗綱を、数葉那の足利勢はもとより大将とは
知らなかったが、佐野勢と見て、小曽根筑前が声高に名乗った
「私は小曽根筑前である!私は佐野家が彦間に置いた小野兵部を討ち取り、その後も
御当家に対して度々敵対致しておる!今度の佐野による侵攻ことも、既に長尾顕長公へ申し遣わし
この寄居に名草六郎とそれがしの一家、その他籠もっている。そなたの後に続く同勢へ弓鉄砲を
撃ちかけ申す!」

これを聞いた佐野宗綱は、内々に数葉那の寄居を攻め落とし足利を奪い取り長尾顕長の首を見て、
その帰路に小曽根筑前を討とうと考えていたのだが、慮外の広言でありこれを一攻めにせんと采配を振った。

しかし、旗本たちが続いて来ていると思い振り返ったが、誰も居なかった。
しばらく佇んでいた所、御武運の尽きであったのだろう、一発の銃弾が胸に当たり落馬した。
そこに足利方の豊島七右衛門という軽輩が、大将とも存ぜず走り寄って首を二太刀切りつけたが、
宗綱は
「うろたえ者め!綴を巻いて斬っている。その方の太刀では無理だ、私の首切り(脇差)にて切れ!」
そう言ったため、七右衛門は宗綱の腰に挿した脇差を抜いて首を取った。

七右衛門は、「きっと佐野の先手の物頭が、血気に逸って一騎で参ったのだろう」と思っていたが、
馬具が非常に物の良いことに気が付き、「これは大将ではないか?」と疑い、大勢にこの首を
見せると、その中によく見知ったものがあり「それは大将の宗綱公である!」と申したことで、
足利勢はどっと悦んだ。

ここのようやく佐野の旗本が駆けつけたが、足利勢の「大将宗綱公、只今討ち取ったり!」との
大音声に、「この上は一命を惜しむことは出来ない、必ず足利を攻め落とす!」と喚き叫んで
攻め、足利勢を押す勢いであったが、ここに足利の援軍として、樺崎より新井図書、大沼淡路、
市川右衛門、久米伊勢、その他の足利勢が多数集まったため、大将も不意に討ち取られた以上
是非もなく佐野勢は方々へと退却した。

(唐澤老談記)



832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/31(木) 22:49:51.90 ID:xURsX3pY
大将が一人だけ前に出すぎて討死って、かなりアレだな。

幽霊がどういう意味を持つかいまいち分からない。宗綱の死を予告したってことかな。
しかし、不運による討死というより、完全に自滅だろう、コレ。

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/01(金) 03:56:38.95 ID:rOisMAZT
信長も一騎駆けしてるじゃん
馬廻が付いて来たから良かったものの
駄馬じゃなかったら敵中孤立してたね

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/01(金) 07:23:13.82 ID:RpMoj8t5
>>832
バンシーみたいなものか

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/01(金) 15:24:54.17 ID:jZm0wVMN
>>831
>出馬する馬の先に、白き帷子を着た若い女が現れ歩いた。
死に装束?不吉な…。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    直政「大将自ら先陣立って突っ込んで行ったらそりゃ撃たれるよね」
    長可「鉄砲で撃たれて討ち取られるてね」
    グスタフ・アドルフ「大将が突出するなんて信じられない」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    セジウィック「ちゃんと距離を取ってれば象にだって弾丸は当たらないというのに、油断し過ぎやろw」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    佐野宗綱って、上杉氏や北条氏を何度も退けることに成功したなかなかの武将だったはず
    つくづく惜しい

    単騎突出てあるけど、北条方の調略が効いていた、なんてことはないのかね
    家臣団が分裂していたみたいだし、その後の経緯も考えると

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >>833
    もし馬廻が付いて行かなくて、その戦で信長が生き残った場合、馬廻はどうなるでしょう?

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