851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/05(火) 20:11:50.13 ID:Dj4OAh2c
織田信長の次男(三男)である三七信孝は、永禄11年の伊勢攻めの際、神戸具盛との和睦に際し
15歳にて具盛の養子となったのだが、実は当初、信長は「同じ一族の内」と言うことで、
神戸氏の親族であり織田方であった関安芸守盛信の子息、関勝蔵を神戸家の養子とするという
約束をしたのだが、それを違え信孝を送り込んだのだった。
それ故か、神戸具盛は信孝を粗略に扱った。
これに対し信長は、元亀四年正月、神戸夫婦が年始の礼に参った際、彼らを取り押さえ、身柄を
蒲生賢秀に預け、近江国日野城に幽閉した。また信長は関死氏に対しても悪く思われ、彼らの所領を
没収した。
神戸具盛はその後、日野にて相果てたという。
(氏鄕記)
852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/05(火) 20:28:03.15 ID:nPTUAMjV
関氏はのちに蒲生の配下になったから脚色でもされてるのかな
勢州軍記とはまた違う内容だ
853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/05(火) 21:30:42.67 ID:XV5zybWD
関死の誤字はちょっと笑った
織田信長の次男(三男)である三七信孝は、永禄11年の伊勢攻めの際、神戸具盛との和睦に際し
15歳にて具盛の養子となったのだが、実は当初、信長は「同じ一族の内」と言うことで、
神戸氏の親族であり織田方であった関安芸守盛信の子息、関勝蔵を神戸家の養子とするという
約束をしたのだが、それを違え信孝を送り込んだのだった。
それ故か、神戸具盛は信孝を粗略に扱った。
これに対し信長は、元亀四年正月、神戸夫婦が年始の礼に参った際、彼らを取り押さえ、身柄を
蒲生賢秀に預け、近江国日野城に幽閉した。また信長は関
没収した。
神戸具盛はその後、日野にて相果てたという。
(氏鄕記)
852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/05(火) 20:28:03.15 ID:nPTUAMjV
関氏はのちに蒲生の配下になったから脚色でもされてるのかな
勢州軍記とはまた違う内容だ
853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/05(火) 21:30:42.67 ID:XV5zybWD
関死の誤字はちょっと笑った
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コメント
人間七七四年 | URL | -
関羽死す!
( 2018年06月06日 17:34 )
人間七七四年 | URL | -
長可「ドーモ、カンベ=サン。鬼武蔵です。」
具盛「アイエエエ!?」
信長「ありゃー間違えて森勝蔵送っちゃったかー1文字違いだもんな―」
( 2018年06月06日 20:26 )
人間七七四年 | URL | -
※2
流石に誕生年と逸話の出来事を無視してのネタは無理矢理すぎ
なんでもかんでも武蔵さん使えばイイってもんじゃないよ?
( 2018年06月07日 06:31 )
人間七七四年 | URL | -
神戸、長野、北畠、磯野、信長から養子を押し付けられると碌な目にあわないな
( 2018年06月07日 12:25 )
人間七七四年 | URL | -
※4
逆に養子で得したとこ挙げてみろよキンカン
( 2018年06月07日 14:05 )
人間七七四年 | URL | JPG8Eu66
※5
秀吉
( 2018年06月07日 14:14 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
上杉景勝も上田長尾家に嫁いだ綾姫(謙信の姉)の子供だから、一門衆ではあるけれど養子みたいなもの
( 2018年06月07日 14:33 )
人間七七四年 | URL | -
※6
ほんとこれ
しかも自分の役割をきっちり果たした後早々に亡くなってて火種を残してない
秀勝が長命だったら何が起こったろうな
( 2018年06月07日 18:57 )
人間七七四年 | URL | -
小早川秀秋は確かに毛利家の体面を潰す事なく死んでるから有能だね。
小早川家の本質が分かってないと裏切りがなかったかも。
( 2018年06月07日 23:33 )
※8 | URL | -
※9
俺は羽柴秀勝の話をしてるんだがなぜ金吾が出てきた
( 2018年06月08日 17:52 )
人間七七四年 | URL | -
※9
潰すも何も秀秋が小早川家の家督継いでから毛利本家と繋がりなんて殆どないじゃん
秀吉との繋がり重視で語るなら、そこはむしろ宇喜多家とだろ
そもそも秀秋が何で西軍に付かざるを得なかったのか、ちゃんと分っているのかい?
それを未だに裏切りだとか
( 2018年06月08日 20:27 )
人間七七四年 | URL | -
秀吉はこの際どうでもいいんだよ。
俺は秀秋個人が毛利家のコネクションをあれこれして表面上引き出したりせずに毛利家を生かしてる事がしっかりしてると言ってるの。
養父の隆景に関してもその点で秀秋に言い含めたりしたとはとても思えんのに、ちゃんと三本の矢の役割をはたしてるわけだよ。
羽柴家からしたら評価に値しないかもしれんが小早川家の男としての筋をちゃんと通してるように思ったんだよ。
宇喜多家だってそりゃ立派に違いないが、家臣団を散り散りにしてるようじゃ、前述の有能な養子とは言い切れないよ。
( 2018年06月08日 20:53 )
人間七七四年 | URL | -
※12
そもそも隆景自身が小早川を乗っ取った養子であることを忘れてないか
土肥実平以来の名門が養子に乗っ取られてその実家のために生贄に捧げられたんだぞ
小早川家の本質なるものが存在するとすれば、それは隆景一代のイメージだけで語っては絶対にいけないものだ
( 2018年06月08日 21:30 )
人間七七四年 | URL | -
月山富田城からの後退戦で当主が死んでて、
次代の当主が盲目じゃ残るに残れなかっただろうから、毛利家から養子をもらったのも結果的に家の為になってる。
( 2018年06月08日 22:07 )
人間七七四年 | URL | -
※12
は議論にもなっていない、それじゃただの個人の感想だろ。個人の感想なら最初からそれで終われよ。
秀吉が関係のないなら最初から秀秋がどうのとか言うのは変だよ。
筋も何も秀秋の重臣の殆どは秀吉から付けられたの!
だから毛利両川の小早川家としての行動じゃ無いの!!
あと、三本の矢は後世の作り話だから出してる時点で調べてない証拠だよ。
( 2018年06月09日 06:12 )
人間七七四年 | URL | -
秀秋の家臣団から旧隆景家臣団はガンガン減って行った事もあって
毛利家とも疎遠になってるんだよね
関ヶ原の前には既に毛利から貰った嫁も離縁してたしさ
( 2018年06月09日 15:47 )
人間七七四年 | URL | -
>>15
そこまで言われては返す言葉がない。
俺が悪かった、筋ではない話し方をした事も、
隆景あっての小早川家と秀秋あっての小早川家を混同するような浅い知識を出してしまった事も俺が悪い。
だが三本の矢を作り話として断じてしまっては、俺を含む今日まで毛利家にロマンを見てきた人達に対して救いがない。
毛利の家は三家の結束によって戦国史に名を残した事は、否定のしようがないはずなんだ。
そういう話が世に残った事まで否定するのは、歴史を語る上でしてはいけないと思う。
( 2018年06月09日 17:24 )
人間七七四年 | URL | -
しかし元就も命の恩人の息子に酷いことするよなぁ
( 2018年06月09日 20:46 )
人間七七四年 | URL | -
※17
歴オタは大なり小なりロマンチストだと思うが、ロマンチシズムを排して真実を目指す学者にも敬意を払っている
史実と伝承を行ったり来たりする上で何より大事なのは両者の線引きを決して曖昧にしないこと
そこさえ押さえときゃ、天才軍師真田幸村と秀吉の母衣衆真田信繁だって共存できるんだよ
( 2018年06月09日 21:20 )
まとめ管理人 | URL | -
皆さんどうぞ、なるべく落ち着いて行きましょう(/・ω・)/
( 2018年06月09日 22:46 )
人間七七四年 | URL | -
※17
ココの住人なら三本の矢が現実で無く逸話の類なんてことは常識であるし、
現実の歴史と逸話の出来事をごっちゃにしない
断じているのでなくて確定だね
せめてもう少し調べてから書き込もうよ
( 2018年06月10日 11:00 )
人間七七四年 | URL | -
三本の矢は逸話にすぎないが実際に三子教訓状なんのもある訳でね
会話の流れとしてはなんだかなあと言う感じ
( 2018年06月13日 07:28 )
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