お陰を以って天下に面目を

2018年06月14日 18:18

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/14(木) 17:07:32.39 ID:MnYHqCft
天正19年(1591)、豊臣秀吉は隠居し、天下並びに聚楽城を猶子である三好中納言秀次へ譲った。
その官位昇進のため、同年12月28日、秀吉秀次以下天下の諸大名は、位次第に車にて参内を
することとなった。

この時秀吉は、蒲生氏郷の次に伊達政宗、その次に山形出羽守(最上)義光と定めた。
ところが氏郷は御前に進み出て

「山形(最上)は源氏の縁であり、その上政宗にとっては母方の叔父にあたります。
政宗の後にすべきではありません。」

このように申し上げたところ、秀吉も「そういう事なら」と、最上義光を政宗の前に立てた。

これを知った義光は謹んで氏郷に申し上げた
「お陰を以って天下に面目を雪ぎました。この御恩はいつの世に忘れることが有るでしょうか。
氏郷殿御一代、それがし一世の間に、会津に何事か有れば、その御用に立ちましょう。
その証拠として人質を進上しましょう。」

それより子息の一人駿河守(家親)を、氏郷の生きている間は差し置いた。

(氏鄕記)



11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/14(木) 17:10:00.88 ID:NpoWDhvU
氏郷が、最上家の取次だったのかな。わざわざ人質まで送るとは。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    最上は足利の分家で伊達は藤原だったか
    義光と政宗の場合は伯父・甥の関係だが家柄だけで見た時って官位も同じだったら公家と武家、嫡流と庶流の序列つけるの凄くめんどくさそうだな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    そういう蒲生も藤原なんだよね
    まあ取次であろう蒲生より上座に置いたらカオスだけど

  3. 人間七七四年 | URL | -

    蒲生さんは伊達政宗の抑えという役目を有能に果たしてるな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    ( ♯⚫皿゜)「東北全体の抑えのくせに何で俺をマンマークしてんだよ!」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4殿
    まあまあ、政宗さんを抑える=東北全体の抑え
    つまりは政宗さんを能力を高くかっているのですよ!
    (なんの能力かは知らない)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    史実ではこの時期の氏郷、政宗、義光は全員在国で天正20年に領国を出立して上洛するんですけどね
    そして文禄の役へと突入

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