FC2ブログ

大阪の陣の頃の世間の風潮

2018年06月26日 10:34

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/25(月) 20:34:10.90 ID:X2M4avTS
・その頃(大阪の陣当時)、弓で的を射ることが流行った。京において勧進(興行)されたのは
「射ながし」と言って、さし矢に星をかけ、弓場の作法も無しに射た。
又は、世間で兵庫付と言って、弓場の付け様、檜垣の塀の切り様、矢代の気味、前弓後弓の次第、
星の射上垣破という、先例よりの作法を吟味して射た。これは関白様が弓を好む方々の射礼を
お聞きになり、そのうち兵庫付の作法が良いと言われたことによる。

・この頃の流行り道具(武器)は鍵鑓で、上下ともに用い、10人の内8,9人はこれを持ち鑓としていた。
対の鑓はおおかた二間半から三間柄(約4.5~5.5メートル)であった。

・その頃侍も町人も残らず茶の湯が流行り、円座を敷いて炒り大豆を拵え、茶の立て様や呑み様を
稽古した。当時茶の湯の上手と呼ばれたのは、古田織部、小堀遠州、桑山左近、永井信濃守であった。

・大阪籠城の間、世間では米の値段が17,8匁くらいであったが(1俵当たりか)、大阪では高騰し、
10日ほど130匁まで騰った事もあった。

・その頃、侍または町人百姓まで、牢人といえば隠棲している者であっても頼もしく思い、一度も
会ったことがない者でも近づきと成り肝煎りとなったものであった。

・その頃は、奉公人を召し抱える時も、その人物を万事吟味し、品々良き者を召し抱えるよう
御内の者に仰せ付けていた。意図的に贔屓するようなことは出来なかった。召し使わす者も
その先祖まで良く良く吟味された。

(長澤聞書)

大阪の陣の頃の世間の風潮について



40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/25(月) 22:36:19.51 ID:yfM2uK9e
武器にも流行り廃りがあるんか。

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/26(火) 21:45:36.17 ID:WN+xHaZ/
鍵槍って十手みたいな補助部分が相手の武器引っ掛けるのに便利そうではあるね
スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    絢爛豪華な時代だったんだなあ
    このまま豊臣の世が続いたらローマみたいな劇場国家になって財政破綻したのかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    財政破たんとか言っちゃうのは真面目な人
    現代国家なんて常に財政破たん状態w

  3. 人間七七四年 | URL | -

    蝋燭の火が消える直前見たいな風潮だな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    こんにち「射流し」というと矢の飛距離を争う競技を指すみたいだが
    さし矢に星をかけ、だとちょっと違うな
    フリースタイル射撃くらいの意味かな

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/11361-3ba489ad
この記事へのトラックバック