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伊勢新九郎盛時という者があった

2018年07月20日 12:31

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/19(木) 22:04:00.97 ID:VToEx01u
その頃、駿州興国寺の城主に伊勢新九郎盛時という者があった。後には北条氏長と改名し、剃髪した後は
早雲寺宗瑞居士と言った。

彼は文武二道に達し、才知抜群の士であった。京都にあった伊勢貞国の外叔父の甥にあたる。
彼の先祖である伊勢伊賀守盛綱は、建武年中等持院殿(足利尊氏)による天下草創の時手越河原の戦いで
討ち死にした。以来代々、京都公方家の御供衆であり、また一族であったので代々伊勢守家伊勢氏と
相親しんでいた。

新九郎盛時は先年、今出川殿(足利義視)のお供をし伊勢に下ったのだが、関東兵乱の久しきを鑑みて、
時運に乗じて我家を興起せんと思ったのか、京には帰らず、駿河国府中の城主である今川義忠という人が、
駿河一国の守護にて盛時の姉聟であったので、これを頼んで新九郎は駿州へ下った。

その頃、隣国との合戦があって義忠は討ち死にし、その家督である五郎氏親はようやく7歳の幼児であり、
国政に関われるはずもなく一族老臣たちが我意に任せ威を争い、様々に分かれて合戦に及んだ。
このような中、新九郎は氏親を助け様々に和議を以てこの騒乱を集収し、終には駿河を平和に治め氏親の
世と成した。氏親はこの忠義に感じ入り、同国興国寺の城に富士郡を副えて新九郎に与えたのである。

(應仁後記)

現在の研究に照らし合わせて、「盛時」の諱なども含めて、相当正しく伊勢新九郎盛時の履歴を描いている應仁後記の記事。


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    早雲の活躍が無く今川が義忠戦死の混乱を引きずったままだったらどんだけ状況変わったんだろうなあ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ここまでしっかり由緒ある家柄の出と書かれてるのに、どこから素浪人からチャンスを掴んだ下剋上の権化のような話が出てきたのやら

  3. 人間七七四年 | URL | -

    日本史のベースは明治にあれこれと史料を集成して作ったが
    かなり信頼性のないものも混入したせいで凄いことになったからなー

    当時集められた史料についてはいまも大事に活用されてるから
    決して無駄ではなかったんだが、通説を否定するってのはなかなかエネルギーがいる事ですわ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    米2
    その方がかっこいいからじゃないかな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    明治期どころか江戸期には伊勢氏の流れだってこと忘れられて諸説紛々だったような
    ただ、小和田氏によると素浪人説は明治期に発見された早雲から小笠原定基(松尾小笠原氏)に宛てた自筆書簡が誤読されたものらしいね。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    いやいや江戸時代には伊勢氏なのは判ってたけど、どこの伊勢氏かハッキリしなかっただけだよ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ずいぶん威勢のいい伊勢だ

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    本家は威勢良すぎて一斉に叩かれちゃいましたね;

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    よく言った。褒美として特製備前の茶を与えよう

  10. 人間七七四年 | URL | -

    こういう定着した俗説を覆す資料の発見や「再発見」が今後も進んでいくと、戦国に限らず歴史もどんどん変わっていくんだろうなぁ

  11. 人間七七四年 | URL | -

    こういうのを見ると歴史好きとして若い人は羨ましいな、と思う
    おじさんが若いときには北条早雲が名門の出で有ることのほうが怪しいとされていたもの
    歴史学会のことは分からないけど、おじさんが若い時に比べ自由で資料も豊富に研究進んでいる様に見える
    おじさん死ぬまでにもっと色んな事が分かってほしいけど見ること無く去っていくんだろうな
    ほんと羨ましい

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