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布橋由来

2018年08月02日 13:10

3 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/02(木) 12:40:05.67 ID:s61QDbDi
前に銭取の地名の由来を書いたけど、布橋は書いたっけかな?

三方ヶ原で大敗した徳川軍
何としても一矢報いたいと ある計略を持って武田軍に夜襲を掛ける
大勝利に絶賛油断中の武田軍は後方よりの突然の奇襲に蜂の巣を突いた様な
恐慌状態に
「奇襲じゃ!」「逃げろ逃げろ!」「あそこに橋があるぞ!」「渡って逃げろ!」
「!! うわーー!!」
唯一残る逃げ道に兵達は殺到、しかしこんなところに橋なんてあったか?
そう武田軍に仕掛けた計略はこの橋
実は夜襲の前に谷に布を渡し橋のように見せかけていたのだ
殺到する人馬の勢いは止められず崖の下にはおびただしい数の兵士や
馬の死骸が山の様に積み重なっていたという

局地戦で見事意趣返しに成功した徳川家
しかしその後この崖から夜な夜なうめき声の様なものが聞こえ続け
数年後に慰霊の大念仏を家康が執り行うまで地域の住民を苦しめ続けたという




5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/03(金) 14:59:15.81 ID:EaDFqGME
>>3
こんなデタラメな言い伝えを残したくなるぐらいに、完膚なきまでに負けたってことなんだろうなぁ…

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/03(金) 15:20:42.89 ID:BjQSFajr
本当の伝承は負けて逃げる途中にあった崖に家康が褌を掛ければたちまち布が石になって徳川軍は逃げることができ
追ってきた武田軍が渡る頃には石が元の布に戻り武田の徒士が転落したというもの
地元じゃこの説が有力

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/03(金) 15:36:46.83 ID:EaDFqGME
>>6
どっちにしたってあり得ん話やん…

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/03(金) 19:10:51.28 ID:8Tj6olph
>>3
まとめの10964
此の度の戦いにうたれし三河武者、末が末までも


で後世の伝承以外が出てた

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/04(土) 09:55:46.27 ID:WSX/lJ7W
流石に脳内地元民ではないのかそれ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    橋と見間違えた説と、丘陵の下へ降りるルートがあると思ったら、ただ単に崖で、先頭が転落した後に雪崩を打って転がり落ちて至った説もある。まともな地面と思ったら、ズボッと逝っちゃったとか。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    彦左「かの戦にまつわる逸話はいろいろな地名に遺っておるものですなあ、いや実に興味深い」
    家康「…」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    もしかして焼味噌とゆう地名も…

  4. 人間七七四年 | URL | -

    焼味噌は三方ヶ原ではなく一言坂だから

  5. 人間七七四年 | URL | -

    しかし>>6殿の話だと、その時の家康様履いてなくないか?
    あとその褌妙に茶色かったり

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >褌妙に茶色かったり
    伝説のVerによっては、何とか調達した布を谷の上に懸け渡し、その上に枯葉や砂をまき散らして地面が続いているように見せかけ(夜襲前提での作戦らしい)、混乱した敵が踏み込んで転落する状況を作ったともいわれてます。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    つまりこうだ、布橋は家康のフンドシ

  8. 人間七七四年 | URL | -

    いいかげん、脱糞は当時の史料にはなく、後世の創作だというのに。

    あと家康の褌は黄色だったはず。
    (黄ばみがついても目立たないから長く使えるとか、そういうケチネタ)

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