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我が去年攻め残したる城なれば

2018年08月11日 18:31

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/11(土) 08:33:19.76 ID:pvd4tFcp
天正十三年四月、宇喜多秀家備前美作の兵一万五千
蜂須賀彦右衛門尉正勝、黒田官兵衛尉孝高を検使とし
仙石權兵衞尉秀久、尾藤甚右衛門尉知定
杉原七郎左衛門尉家次、小西弥九郎行長、共に七人の兵将二万三千人をもって讃州に発向した
四月二十六日に屋島の浦に到着し、北の峯に旗を押し上げると
国中の人民これを見て騒動すること言うばかりもなかった

ところが北の峯は分内狭迫にして兵を留めるのが難しく、そのため南の峯へと移ったが
この山も上代の名城なれど山高くして戦さをなすには用がなく
其の日下山して牟礼高松に上った

さてここに喜岡城という小城があり、高松氏世々の居城であった
香西伊賀守の旗下なれば、加番として唐人弾正、片山志摩守を兵将として百余人指し使し
高松左馬助配下の百余人と共に、二百余人をもって城を守っていた
この城は去年仙石秀久、小西弥九郎らが二千余人をもって攻めれども
堅城なれば落とすことができず、この度四国の手先に在って大軍の馬蹄にかかる事となった

秀吉公の御目代黒田孝高が宇喜多秀家に向かって曰く
「小塁(小城)あり、この度の手始めなれば、踏み落として然るべし
高松山の松を切り寄せ、これをもって堀を埋め上げ足場とし
一時攻めに陥とし国人の聴を驚かすべし」とて全軍に下知されたが
仙石氏これを聞き
「これは我が去年攻め残したる城なれば、他人の手にかけさせるべからず!」として勝手に攻め寄せた
このため攻め具を待たずに、総軍相争って蟻の如く城に取り付く有様となり、この時死ぬ者が多かった

城内にも鉄砲百挺ばかりあったが、敵兵二万余が天地を響かせ攻め寄せると
掘塀堅固とはいえ、猛勢に切所なければ、大軍がいやが上にも重なり
何の造作もなく落城し、二百余人の者ども一人も漏らさず攻め殺された

(南海治乱記)


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ゴンベさん…本当これだけ失敗しまくってよく江戸時代まで生き延びれたな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    逆に端武者の働きしかできないから政治的に無害で生き残れたのでは。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    なぜ端武者とわかっていながら一方面を預かるケースが多いのか不思議
    実は平時は軍政の名手だったりして(名将とは言ってない)

  4. 人間七七四年 | URL | -

    かえって秀吉の部下だったから生き残れた気がしてくる。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    某読○巨○軍のMコーチみたいな感じかな?

    現役成績そこそこ
    中間管理職としては並かそれ以下
    謎のコミュニケーション能力で重宝される所謂世渡り上手な人
    勿論コミュニケーション能力だって立派な才能の一つだけど…

  6. 人間七七四年 | URL | -

    仙石はコミュニケーション能力が低いから、他将と折り合いが悪く一人で猪突するんじゃないかな。
    単にアホの子具合が秀吉に気に入られてただけかと。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    後年関ヶ原で秀忠のフォローして気に入られた件とか、コミュニケーション能力が低い様には見えないんだよね
    馬鹿正直と言うか誠実と言うか、家康への恩義もあってかそう言う人柄みたいなのもあったのかねぇひょっとして

  8. 人間七七四年 | URL | -

    あいつ馬鹿だなぁみたいな愛されキャラだったんだろな。
    これだけ失敗しても大名でいられたんだからすごいと思うわ。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    人並みに失敗はするけども人の倍は巻き返そう とする意思と根性があったし、それに相応しい成果を挙げたからじゃないかな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    「センゴク」のキャッチコピーは正に本質を突いていたって事か

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