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今度は遊びに飽きてまた浜松に帰ってきた

2018年08月25日 18:17

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/25(土) 13:27:40.22 ID:jvrexpct
今川上総介氏真が小田原を逃げ出て浜松に来たると、神君(徳川家康)は旧好を
思し召して懇意に御扶助なさったが、氏真は、

「近頃の都には歌や連歌、蹴鞠の朋友も多いし、退屈の慰みにもなるだろうか」

と京洛の方に徘徊し、今度は遊びに飽きてまた浜松に帰ってきた。

神君はなおも旧好を捨てなさらず、氏真は今は雲水に任せて浪々としているのを
このように懇意にもてなしなさり、天正7年(1579)10月9日、

浜松城へ氏真を御招きになり、善美を尽くして饗応なされた。御仁心ありがたき
ことなりと、氏真は申すまでもなく見聞きする者で感嘆しない者はいなかった。

――『改正三河後風土記(基業編年大成記)』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    なお後日馴れ馴れしすぎて叱られる模様

  2. 人間七七四年 | URL | -

    氏真「ははは、ここは楽しい。駿府が恋しいとは思いませぬ」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    家康好きすぎて頻繁に遊びに来て長居するから遠くに引っ越しさせられた話面白すぎる

  4. 名無しさん | URL | -

    ※2
    くそw
    全く同じこと書こうと思ったのに先を越されたww

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    流石にアレと比べるのは酷じゃない?一応政務もこなして武芸を学び武将としても活躍があるのだし。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    自分は何もしないで政務を家臣に丸投げして40年地位を維持した劉禅と
    自分は色々画策したけど家督相続から10年で駿河を追い出された氏真とじゃ状況も勢力の成り立ちも違うから比較の意味が無い

  7. 人間七七四年 | URL | -

    有能で働き盛りの先代が突然死し、期待してた有能社員が独立して商売敵になり、
    形上、友好関係を築いていた大手の同業が裏切って積極的に切り崩しにきたとなれば、
    もはや、よほど有能じゃなきゃムリ。

    そこが義政や義隆とは違うとこ。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    まあ織田支配下で城主やるの無理つって投げ出したりしてるあたり、才覚面でもあまり高望みは出来なさそうだけどね
    しかし確定してる史実見ても伝承見てもロクデナシとしか言いようのない三好の長治とかに比べたら、格段に真っ当な人ではある。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    でも戦国終わってみれば
    氏真は天寿全うしたけど武田は跡形もなく潰されましたし
    信玄もあの世で地団駄踏んで悔しがってるだろうな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    文化人適性が高すぎて大名としては厳しい状況の中それなりに頑張ったけど才覚も器もなかったという印象。
    ただこの逸話にもあるように無責任にフラフラしても嫌われない辺り人に好かれるタイプではあったのだろう。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    長治は早死にしたせいで徹頭徹尾汚点しか残してないからな
    没落後も長生きして大量の資料を残してくれた大友吉統が偉人に見えるレベル

    ※9
    高家旗本だから跡形くらいは残ってるんじゃないかな…

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    高家の武田は、実際のところ、ほとんど繋がりないようなものでしょ。
    血という意味もあるし、流浪で世代経すぎってのもあるし。
    さらに形式じゃなく、実際の役に就いた時は、実質、柳沢吉保の家系だし。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    信玄も天寿を全うしたんだけどな。
    氏真は個人単位で信玄は家単位で比較するなんて愚劣極まりないな。

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