84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/03(月) 14:34:26.79 ID:XvPMkh4u
御当家(徳川家)三河岡崎御居城の贈大納言広忠卿(松平広忠)の御時より、正月2日に御一族と国士衆の
御礼次第を定めて左右に着座を分けた。着座の一番は鵜殿八郎三郎康定、二番は西郷孫九郎家員、
三番は形原の紀伊守家忠、四番は大給の松平和泉守親乗、五番は桜井の松平内膳正信定と東条の松平右京亮
義春の両人が隔年で1人ずつ着座した。先年信定・義春は兄弟なので信定の次に
義春が着座したのだが、信定が度々御敵となった後は降参しても兄弟はとかく不快の仲だったので毎度座班
を争うため、それより日を変えて出仕することとなったのである。(原注:大久保物語)
義春の病死後、甚太郎家忠(忠茂)の時その家老・松平右近忠次は「桜井と東条は兄弟の家筋といえど桜井
は度々叛逆し、一方で東条は二代に渡り忠義を怠らず。この事情もあるので桜井の座席を東条に下さるべし」
と願い出た。広忠卿は「その願いは道理である」と聞こし召し御許容になったので、甚太郎家忠は五番の座
と定まった。一両年が過ぎて信定は降参しその翌年正月早朝より出仕して東条家にも断らず五番座に着した。
甚太郎が出仕してみれば信定は早くも五番の座に着していた。甚太郎は気量ある者なれば何も言わず信定の
上の座に着いた。信定はこれを見て「この座は我が座なり! 甚太郎は庶子の筋でしかも私の甥ではないか!
叔父を越えて上座に着くべきではなかろう! そこ退け!」と罵った。甚太郎はからからと打ち笑い、
「不義不忠の働きをして叛逆し、ようやく只今降参した桜井と、二代まで忠勤を尽くした東条がなぜ座席を
争えようか!」と言えば、信定はいよいよ憤り「これは我が本座なり! いいから罷り立て!」と罵った。
すると東条の家老・松井左近(忠次。のち松平康親)が進み出て、「信定の仰ることはまったく心得ませぬ。
この座席は東条二代の忠義によって広忠卿が下された甚太郎の座席であります。それほどこの席が欲しくば、
どうして度々叛逆不義の働きを振舞われたのか! 降参した不義者が忠義無二の東条家の席を奪うなど叶い
ませぬぞ!」と罵った。信定は言葉に詰まってますます怒り、刀に手をかけ松井左近を討ち果たそうとした。
甚太郎と左近も一緒になって信定を討とうとし双方闘争に及ばんとした。ここに至り一座の面々はようやく
双方を抑留し、信定を追い返して甚太郎が本座で御礼した。その後、御一族の面々も様々に甚太郎を
申し宥めて、広忠卿も御内意ありそれ以来、両人は隔年で出座すべしと定まった。六番は長沢の松平上野介
康高。この康高は初め竹谷の松平・御油の松平より下座だったが、広忠卿の妹君と夫婦だったのでその上に
座することと定められた。康高が亡くなった後にこの妹君は酒井忠次に嫁ぎなさった。
七番は竹谷の松平玄蕃頭親善、八番は御油の松平外記景忠、九番は深溝松平主殿助家忠、十番は二連木の
松平丹波守康長。これは元来戸田氏だが、忠勤によって松平を賜ったものである。
これより以下の群参の御礼衆は数多なれば漏らした。
――『改正三河後風土記』
御当家(徳川家)三河岡崎御居城の贈大納言広忠卿(松平広忠)の御時より、正月2日に御一族と国士衆の
御礼次第を定めて左右に着座を分けた。着座の一番は鵜殿八郎三郎康定、二番は西郷孫九郎家員、
三番は形原の紀伊守家忠、四番は大給の松平和泉守親乗、五番は桜井の松平内膳正信定と東条の松平右京亮
義春の両人が隔年で1人ずつ着座した。先年信定・義春は兄弟なので信定の次に
義春が着座したのだが、信定が度々御敵となった後は降参しても兄弟はとかく不快の仲だったので毎度座班
を争うため、それより日を変えて出仕することとなったのである。(原注:大久保物語)
義春の病死後、甚太郎家忠(忠茂)の時その家老・松平右近忠次は「桜井と東条は兄弟の家筋といえど桜井
は度々叛逆し、一方で東条は二代に渡り忠義を怠らず。この事情もあるので桜井の座席を東条に下さるべし」
と願い出た。広忠卿は「その願いは道理である」と聞こし召し御許容になったので、甚太郎家忠は五番の座
と定まった。一両年が過ぎて信定は降参しその翌年正月早朝より出仕して東条家にも断らず五番座に着した。
甚太郎が出仕してみれば信定は早くも五番の座に着していた。甚太郎は気量ある者なれば何も言わず信定の
上の座に着いた。信定はこれを見て「この座は我が座なり! 甚太郎は庶子の筋でしかも私の甥ではないか!
叔父を越えて上座に着くべきではなかろう! そこ退け!」と罵った。甚太郎はからからと打ち笑い、
「不義不忠の働きをして叛逆し、ようやく只今降参した桜井と、二代まで忠勤を尽くした東条がなぜ座席を
争えようか!」と言えば、信定はいよいよ憤り「これは我が本座なり! いいから罷り立て!」と罵った。
すると東条の家老・松井左近(忠次。のち松平康親)が進み出て、「信定の仰ることはまったく心得ませぬ。
この座席は東条二代の忠義によって広忠卿が下された甚太郎の座席であります。それほどこの席が欲しくば、
どうして度々叛逆不義の働きを振舞われたのか! 降参した不義者が忠義無二の東条家の席を奪うなど叶い
ませぬぞ!」と罵った。信定は言葉に詰まってますます怒り、刀に手をかけ松井左近を討ち果たそうとした。
甚太郎と左近も一緒になって信定を討とうとし双方闘争に及ばんとした。ここに至り一座の面々はようやく
双方を抑留し、信定を追い返して甚太郎が本座で御礼した。その後、御一族の面々も様々に甚太郎を
申し宥めて、広忠卿も御内意ありそれ以来、両人は隔年で出座すべしと定まった。六番は長沢の松平上野介
康高。この康高は初め竹谷の松平・御油の松平より下座だったが、広忠卿の妹君と夫婦だったのでその上に
座することと定められた。康高が亡くなった後にこの妹君は酒井忠次に嫁ぎなさった。
七番は竹谷の松平玄蕃頭親善、八番は御油の松平外記景忠、九番は深溝松平主殿助家忠、十番は二連木の
松平丹波守康長。これは元来戸田氏だが、忠勤によって松平を賜ったものである。
これより以下の群参の御礼衆は数多なれば漏らした。
――『改正三河後風土記』
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コメント
人間七七四年 | URL | -
長いなーと思いながら流し読みしていたら末尾の「漏らした。」でやられた
松平が漏らしたとかもう連想が高威力すぎて他の情報が入らん
( 2018年09月03日 21:06 )
人間七七四年 | URL | -
松平一族多過ぎ問題
( 2018年09月03日 21:21 )
人間七七四年 | URL | -
もちろん書き漏らしたって事なんだけどねぇ。
どうしても某権現様のアレが…
( 2018年09月03日 21:36 )
人間七七四年 | URL | -
信定は事績見ても才覚なさそうなのに徹底的に反抗的よねえ
( 2018年09月04日 06:50 )
人間七七四年 | URL | -
※4
ここら辺の時代は編纂物と一次史料とで違いすぎるのでなんとも言えないよ
( 2018年09月04日 07:12 )
人間七七四年 | URL | -
やっぱ席次争いって血を見かねないんすね
( 2018年09月04日 17:16 )
人間七七四年 | URL | -
日本人は身内争いでも平気でやるからな
身内しか信用しない中国や朝鮮は軟弱
( 2018年09月04日 19:08 )
人間七七四年 | URL | EybeWf1w
鵜殿松平って今川家臣の鵜殿と関係あるのかな?
( 2018年09月04日 19:44 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
※8
実は鵜殿松平自体が正体不明すぎるので鵜殿氏と関係あるのか無いのかすら分からない
( 2018年09月04日 20:54 )
人間七七四年 | URL | -
信玄「骨肉の争いが絶えぬようでは滅びも遠くあるまい」
( 2018年09月05日 11:51 )
人間七七四年 | URL | -
まとめにはないっぽいけど、上杉謙信のとこも家中で席次を巡って争いになり謙信本人が裁定下した逸話があって、どこの家も順番は大事よな
( 2018年09月05日 16:07 )
人間七七四年 | URL | -
考えてみれば武士にとって命より大事な「権威」がガッツリ可視化されてしまうわけだから恐ろしい場所だよ
( 2018年09月05日 19:20 )
人間七七四年 | URL | -
そう考えると円卓なんかは権威の可視化においてある程度の秘匿性があって、画期的なものなんだなー。(棒読み)
( 2018年09月05日 22:26 )
人間七七四年 | URL | -
なるほど、席次があるから争いが起きる。現代の教育現場にある「みんな一等賞」は正しかったんだね!<違っ
( 2018年09月05日 23:01 )
人間七七四年 | URL | -
傘連判状も本来の目的は首謀者の秘匿じゃなくて参加者同士のマウント合戦の予防なんだよな
( 2018年09月06日 07:36 )
人間七七四年 | URL | j7kPgX2Q
まあ古くは大伴古麻呂が唐で席次に激怒してるし
昔から重要な問題よね
( 2018年10月20日 11:54 [Edit] )
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