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菅小左衛門、島津家臣に報復した咎により切腹する

2018年09月13日 21:12


133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/12(水) 21:23:53.83 ID:qWWCnxkC
菅小左衛門、島津家臣に報復した咎により切腹する

慶長12年6月、駿府城の修築のため江戸から神君(家康)の荷物が送られていた。
国清公(池田輝政)は、船奉行の菅小左衛門に荷物の運送を命じた。
駿州清水で島津家の士が池田家の加子(船夫)に狼藉をして、加子四、五人に
怪我を負わせた後、江尻まで逃げていくということがあった。

そのとき小左衛門は陸にいたが後からこの由を聞くと、たった一人駆け出し
跡を追いかけて、島津家の家来が乗っている船に飛び込んだ。
奉行二人の内の一人と、下っ端を四、五人切り殺し、残った奉行を船の梁に
縛り付けて、自分の姓名をしっかり名乗ってから帰った。

当然このことは問題になってしまったが、(池田家臣の中では)
「小左衛門から仕掛けた喧嘩じゃないし、向こうが狼藉をしたんだから
 やむを得ないことなので、小左衛門は助命されるだろう」
という声もあったが、(幕府直参の)三浦志摩守が国清公の方へ参って
「喧嘩両成敗は天下の御法ですので、お助けすることは出来ないでしょう」
と言ったので、国清公もどうにも出来ず、小左衛門に腹を切らせることになった。

小左衛門はこのとき三十一歳だった。
死に臨み友人の安宅次郎左衛門に、遺言状を書き送った。

遺言状(『菅文書』)で小左衛門は父の惣兵衛について
「惣兵衛は年寄りなので、そちらの家に呼んで毎日慰めてあげて下さい。
 一、二年の間だけでもいいのでお願いします」
と、後事を託している。

小左衛門の子の九郎太郎は三歳だったが、父の知行四百石を与えられた。
九郎太郎が五歳のとき、(国清公は)家臣の石丸雲哲に
「あの九郎太郎は成長しただろうか、お城へ連れてくるように」
と仰せられたので、九郎太郎が登城すると国清公は膝元に呼ばれて
懇ろに仰せられたあと、菅若狭に守り立てるように命じられたという。

国清公が亡くなり興国公(池田利隆)が播磨に入ったとき、新参の者は暇を賜ったが
まだ十六歳で無役だった九郎太郎はそのまま仕えることが許されたという。


――『池田家履歴略記』



134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/13(木) 20:31:03.63 ID:a5yC5vEo
こんなんどうしたら正解だったんや

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/13(木) 20:38:59.57 ID:oPuUvg4k
>>133
>加子四、五人に怪我を負わせた
これで五人も殺したのか…と引いてしまうのは現代の価値観かねぇ。

136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/13(木) 20:57:17.33 ID:1fmrxVb6
>>134
黙っていたら腰抜けとして処罰
反撃したら両成敗で処罰
詰みである
…仕掛けられないようにつねに警戒してろって事かな
でも向こう見ずな奴はこっちの警戒とかお構いなしだろうしな

>>135
やられたらやりかえせな精神だなぁ…
こういうの見るとハムラビ法典ってなるほど穏健な方なんだなと思わされる

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/13(木) 22:03:12.47 ID:MdIF2uXQ
やられたらやり返してよい、ただしそれ以上はやり返すなの精神と
やった方も応じた方も罰なの精神は割りと似ている気がする

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/13(木) 22:25:24.85 ID:uGl7Zatq
長崎喧嘩みたいに徹底的に報復した後、先行して死ぬのが精神衛生上良さそう
どんなに精神強い人間でも沙汰待つ時は辛いだろうし

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/14(金) 05:13:36.68 ID:joeuWfgB
>>135
綱吉による教化は本当に重要だったんだなぁ…

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/14(金) 10:10:59.23 ID:A3TosaDU
>>134
損害賠償を請求すれば良い。断られたら暴れる。

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/14(金) 12:04:56.52 ID:ErgQINDx
武士の場合、損害より面目の問題なんだよなあ

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/14(金) 12:28:59.19 ID:7tKdY49C
鉄砲玉の身分はそうだろうね

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/14(金) 12:30:33.38 ID:uzG3c2Dm
室町時代から「故戦・防戦法」で理由の如何にかかわらず先に手出ししたほうを罪に問う、とやっても
ちっとも紛争を予防できなかった挙げ句の「喧嘩両成敗」なわけでな。

ちなみに江戸期を通じて「喧嘩両成敗」を適応した事例は、実は殆どないらしい。
法執行の側も、これが極めて理不尽な法であることを重々承知していた模様。

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/14(金) 16:39:09.53 ID:LoLm7Buv
赤穂事件も喧嘩両成敗の対象にならなかったしなぁ
あれは浅野が罰せられるのは当然とも思うが

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/17(月) 07:34:05.39 ID:fSDtPYjS
どちらに理があるとか先に手を出したとか理非究明に時間がかかりすぎて評定が滞ったので家中の争いについては喧嘩両成敗にしたと言うのが実情だな

喧嘩両成敗を採用した大名も国衆の争いなんかは相変わらず理非究明をうたってるしね
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    喧嘩両成敗ってどう考えても理不尽な法律だわ
    泣き寝入りするか死ぬかないとか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    安宅は冬康の縁者かね?
    切腹した菅は淡路菅水軍の将だろうし。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    張闓「どうしたら正解だったんだろうな」
    陶謙「な」
    曹操「…」

  4. 人間七七四年 | URL | -

    昔の侍タイプだな
    平和期でなければ命はあったかも

  5. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも喧嘩両成敗自体が抑止力の筈だけど、どんなに片方が我慢したって
    一定数のアホウは出ちゃうよね?それで迷惑掛かった側もって確かに理不尽。

    徳川の役人も上役の苛めに耐え切れなくなって報復して双方切腹ってのあったね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    戦闘民族、薩摩人相手だから反撃が過剰になるのも仕方ない

  7. 人間七七四年 | URL | -

    天下の御法って自然に定まった慣習法という印象だから為政者が簡単に変更できるものではなさそう

  8.   | URL | -

    池田の、瀬戸内海軍力を削ぐための幕府の計略かもよ。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    黙っていたら腰抜けとして処罰 → 恥に耐え切れず切腹とかすると減知され次代へ
    反撃したら両成敗で処罰 → 切腹となるが知行をそのままに次代へ

    子孫のことを考えればやはりこれで正解だったんだろう
    まあ死すべきタイミングが突然訪れてしまったということで

  10. 人間七七四年 | URL | -

    喧嘩両成敗は戦国期に広まり始めた比較的新しいもので
    江戸初期だと慣習として定着してたか微妙なラインだからなー

    完全に定着してれば慣習は理そのものになるが、
    定着しきってないと理不尽に見える事もあるわな

  11. 人間七七四年 | URL | -

    元々は、合戦場での喧嘩を戒める為、という説を聞いた事が。
    戦場ではあれこれ吟味してる余裕なんてなさそうですし。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    単に当主や上役が詮議するのが面倒だからどっちも氏ねってことだね<テキトー

    そう言う点では武蔵さんは、成敗して文句を言わせない・苦言されても成敗して聞かない・
    自ら率先して因縁つけて牽制する等して両成敗を回避してたんだねw

  13. 人間七七四年 | URL | -

    裁判の目的は真相の究明じゃなくて秩序の回復だからな

  14. 人間七七四年 | URL | -

    面目を守れ、武勇の誉れが立ち
    遺児には禄が恙なく受け継がれ
    「あいつの子よ」と主君から特に目をかけられる

    「どうしたら正解だったのか」でいえば、これも十分正解だろう
    武士の算盤じゃ成功

  15. 人間七七四年 | URL | -

    綱吉だけの功績とも思えない。

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