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信長は彼が陪臣であるにもかかわらず

2018年09月15日 19:05

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/15(土) 13:14:52.04 ID:134JHZze
天正9年3月26日、若狭の逸見駿河守(昌経)が病死した。彼の所領は八千石であったが、
相続すべき実子が居なかったため、織田信長の命により、そのうち三千石は武田孫八郎(元明)へ、
残りの五千石は溝口竹(秀勝)に与えられた。この溝口は後に受領して、伯耆守と名乗ったが、
彼は惟住五郎左衛門尉(丹羽長秀)が幼少の頃より取り立てた者で、普段より正意誠心にして
武道を心がけ、何事にも心を尽くす人物であったため、信長は彼が陪臣であるにもかかわらず、
五千石を与えたのである。

このように信長は、陪臣であってもそういった人物であるなら賞禄を与えたため、彼の配下は
上下の区別なく功に励むこと、日々新にして、日々に新に、また日々に新たなりとも申すような
雰囲気であった。

(甫庵信長記)

直接の部下でなくてもきっちり評価してくれる信長公であった。


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    溝口は逸見の同族ってところもあるんだろうな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    伯耆守は独立後の名乗りだね。正直のぶやぼだと余りに微妙な能力なので使ったこと殆どがないw

  3. 人間七七四年 | URL | F9ckFCGU

    溝口さんはちゃんと幕末まで大名として残ったんだからそのへんは評価されていいと思うんだ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ↑確かに性格も良く、長秀にも信頼され、その後も秀吉から堀久太郎付けられ、大名としても功績がある。
    ざっと書くだけでもこれだけ凄いのに、どうしてもマイナー武将止まりなんだよね・・・

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