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坂井政尚の討死

2018年09月23日 19:00

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/22(土) 20:39:43.56 ID:5fRHuOJu
織田信長の軍の大将である坂井右近(政尚)が元亀元年(1570)11月26日に堅田の戦いでに討ち死にした理由だが、
彼はその以前、6月21日の姉川の戦いで嫡男久蔵(尚恒)が討ち死にして以来、何事も心に入ってこない様子で
あったのだが、敵対する堅田の一揆の内より、猪飼昇貞、居初又次郎、馬場孫次郎の三名が、信長へ寝返ることを
申し出てきたため、信長より「家臣の誰かが海を越えて堅田に行くべし」と命じたところ、坂井がこの命に応じ、
一千あまりの兵を率いて11月25日の夜中に堅田に入り、その構えに火の手を上げて合図を示した。

ところが、浅井朝倉軍がこの火の手に気づき「このまま放置して織田軍に堅田を取り固められては大変な
事になる!」と、26日の早朝よりこれを攻めた、そのため坂井政尚をはじめ安藤右衛門佐、桑原平兵衛などが
討ち死にした。

坂井は勇猛な将であったが、事の利を尽くさず、早くに敵に察知されたことが誤りであろう。

これは天正時代の尾張蟹江城の戦いでも、滝川一益が早くに合図の火を発したために、ついに敗北している。
全て名のある勇武の将であっても、事の理を詳らかにしなければ、このような落ち度があるものなのだ。

(士談)

嫡男を亡くした動揺が続いていて判断を鈍らせた、という事なんでしょうね。



197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/23(日) 21:50:26.46 ID:al5PRGdw
朝倉にしては動きが速いな

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/24(月) 03:48:41.32 ID:XTRl6+g8
朝倉って動くべきところで全然動けて無いという偏見があるから
この動きも浅井主導だったんじゃ…とか思ってしまう

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/24(月) 11:43:23.04 ID:EluHms2J
朝倉の初動の遅さについて理由も検証されるようになってきたからな
度重なる動員と領外出兵で徐々に統制ができなくなっていったっぽいとか

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/24(月) 15:07:56.65 ID:w1gRc5ll
義景さんは攻めはヒドいが守りはなかなかだろ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    朝倉って過小評価されてるよな
    本願寺と双璧で織田に大打撃与えたのにな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    朝倉って過小評価されてるよな
    本願寺と双璧で織田に大打撃与えたのにな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    大事な事なので繰り返しました。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    家臣達のお陰でね
    それ以前は国政が歴代当主が軒並み優柔不断で一向一揆に散々振り回されてきたじゃん
    義景だって折角の義昭奉じて上洛チャンスもそれで潰れた様なもんだし
    その織田家との戦いだって中途半端な戦線で結局浅井と連携失敗したし
    そもそも当主がこれ以外で戦場に出陣した記憶が殆ど無いって駄目でしょ
    幾ら負けが越したとは言え、一門・重臣達が相次いで離反した面も忘れてはいけない

  5. 人間七七四年 | URL | -

    当主がきっちり指導力を発揮していれば、越前の狂犬も表舞台に出る事はなかったのかも

  6. 人間七七四年 | URL | -

    朝倉では大将は陣代が務める習わしじゃなかったっけ?
    家中のパワーバランスが崩れるので迂闊に親征できなかったのかも
    ただでさえ敦賀と大野で仲悪かったりするし

  7. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉の副将として二万の大軍で山名征伐にもいっているので坂井も結構な重臣なんだよなあ

  8. 人間七七四年 | URL | -

    義景時代の朝倉がぐらついてるのは生涯現役の宗滴にも責任あるし……

  9. 人間七七四年 | URL | -

    *3 むしろ一向一揆に苦しんでない勢力があるなら教えて欲しいぐらいなんですが

    義昭向かい入れて上洛すると言っても加賀一向一揆という巨大な爆弾や冬の北陸の補給線の問題もあるしどうにもならないと思うが

    それに本来なら潰れてもおかしくなかった織田が逆転したのがおかしいだけで打てる手は問題なく打ってるわけだし

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    >一向一揆に苦しんでない勢力
    当の本願寺教団ですら苦しんでて草も生えない(大小一揆とか奈良での門徒大暴走とか)

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    武田はどうよ

  12. 人間七七四年 | URL | -

    戦国大名って大体びっくりする勢いで滅んでない?
    ゲームみたいに端っこからこつこつ取られ尽くされるんじゃなくて
    ぎりぎりまで境目で踏ん張って一気に瓦解って感じ

  13. 人間七七四年 | URL | -

    家臣団が派閥を作って足の引っ張り合いをやり合っていて、尚且つ義景の代でその問題が浮き彫りになっているのをみると、義景養子説が出るのも仕方ないかなと思う。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    そらそうよ

  15. 人間七七四年 | URL | -

    利害調整が大名の1番の仕事だから

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    少しずつ磨り減るように滅亡していくパターンは大名より国人が多い気がする
    つまり逆に、大名ともなると破綻寸前まで国境を維持できる体力があるということなのでは

  17. 人間七七四年 | URL | -

    義景「うん、それ無理」

  18. 人間七七四年 | URL | -

    ※17
    もう12年前なんやで…

  19. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    その義昭が仲介して一向一揆と話を付けて居る。つまり後顧の憂いはなくなっている状態
    補給云々だって義昭が冬だけ居たわけじゃないから問題にもならない

    相手が逆転したのがおかしいって現実を受け入れてない思考で物言うか普通?
    世の中の歴史は結果が全てだぞ

  20. 人間七七四年 | URL | -

    *19
    一向宗なんかすぐ手のひら返すしあてにならないだろう
    そんな状況で勝てるかわからない三好に戦いを挑むなんて無謀すぎるし冬になれば行きで動けなくなるし

  21. 人間七七四年 | URL | -

    ※20
    そんな事を言い出したら歴史全ての事象に対して後からどうとでも言えるよな?どう足掻いたって
    現実を受け入れないのならそれは君の責任であって俺に対して屁理屈捏ねたって意味が無いだろ?

    それに三好家云々を言うのなら、それこそ一向宗の大元である本願寺勢力と同盟なり和睦なり
    結ぶ手立てを講じれば畿内制圧も可能だったし、途上で浅井家と強力して六角家へも対抗できた
    朝倉は上洛が可能だった、その好機を自ら逃した、これが現実

    それとも織田家が何の苦労も無く上洛したとでも言うのかい?

  22. 人間七七四年 | URL | -

    マジレスして悪いけど
    戦国大名は別に全員上洛志向ではないし本願寺でさえ一向宗の扱いに手を焼いてるし簡単にはいかんのよ
    ただでさえ一門やら派閥がばっこしてるなら尚更

  23. 人間七七四年 | URL | -

    「朝倉は上洛が可能だった」というのは推測の域を出ない
    「朝倉は上洛不可能だった」というのも決定的な証拠はない
    「朝倉は上洛しなかった」間違いなく現実なのはそれだけ

    ただ一権力がこれだけ大きなイシューに対して何の政治判断も下さなかったことはありえない
    朝倉は朝倉なりの現実的判断に従って「上洛を選ばなかった」のだろうと思う

  24. 人間七七四年 | URL | -

    当時の大名からすれば天下や上洛よりも土地を守ることのがはるかに大事だし
    信長も上洛してからは義昭に振り回されて苦慮する羽目になったし

  25. 人間七七四年 | URL | -

    ※24
    最近、義昭のイメージが信長の忍びの義昭でしか再生されないw

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