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私は武田家の古老、馬場美濃なるぞ

2018年10月28日 17:56

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/28(日) 02:59:35.21 ID:jQCsznEq
(長篠の戦いの時)

山県昌景の先頭に続き武田勢は攻め掛かるが、鉄砲の激しさに堪えかね引き退く。武田右備の先手・
馬場美濃守信房の一隊は魚鱗に備えて金鼓を鳴らし、寒防山の麓より信長卿の本陣に押し寄せ、

喚き叫んで柵二重まで破らんとした。織田方は少しも取り合わず佐々内蔵助(成政)・前田又左衛門
(利家)・福富平左衛門(秀勝)・野々村三十郎(正成)らが命じ3千挺の鉄砲で段々に撃ち立て、
寄手の走り寄る者は撃ち倒され撃ち落とされ、ここでも人塚を築いた。

(中略。武田勢苦戦。土屋昌続討死、武田信廉・跡部勝資勢裏崩れして敗走)

この勢いに乗じて織田方の滝川左近将監(一益)と佐久間右衛門(信盛)は柵外に出張した。神君は
これを御覧になって「かねがねの軍令の如く早々に柵内へ引き入るべし!」と御使者を遣わされたが、
両人はこれを用いず、信長卿からも使者を立てられてこれを制し給う。その間に馬場は敗れた手勢を
立て直し、佐久間勢を追い崩して40余人の首を切り、佐久間勢を柵内へ追い入れた。

(中略。織田・徳川勢の総攻撃により武田勢総敗軍。内藤昌豊ら諸将討死)

ここにおいて小幡上総信貞・小幡備前貞員・河窪備前・小山田十郎兵衛国次らは、皆勝頼を落ち延ば
さんがため踏み止まり踏み止まり、勇猛の働きをして死んだ。穴山梅雪の一隊は後をも見ず寒防ヶ嶺

を目指して逃げ行くと、一条(信龍)の一隊も散々に打ちなされて敗走した。三河・遠江の勢は勝頼
を討ち止めて高名にせんと喚き叫んで追っ掛ける。馬場美濃は討ち残された手勢20騎ほどをまとめ、

勝頼本陣の大文字の小旗の影が見えなくなったので馬を引き直して、長篠の城際まで取って返した。
馬場のその日の出で立ちは卯花威の具足に錆色の星兜に鍬形を打ったものを着なし、

朱に染まった(血まみれになった)月毛の馬には白覆輪の黒鞍が置かれていた。これに乗って白旄を
胸板の鐶に差し、槍は馬の平首に持ち添え敵に向かって「私は武田家の古老、馬場美濃なるぞ!

各々は私を討ち取って高名にせよ!」と大声で呼ばわり、槍を振るって敵4,5騎を突き落とした。
その後は刀に手もかけずに、塙九郎左衛門直政(原田直政)の郎等・川井三十郎のために自身の首を
授けた。時に62歳。馬場が勝頼に今回の合戦御無用なりと諫めた時、跡部・長坂の両人に向かって

「合戦を勧められる方々は逃げられようとも、諫める某は討死する」と申した言葉を守って、退けば
退けたものをこのように踏み止まって討死せるこそ哀れなれと惜しまぬ者はいなかった。

――『改正三河後風土記(四戦紀聞・東遷基業・武徳大成記・家忠日記・甲陽軍鑑・武家閑談)』



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コメント

  1. ※4 | URL | -

    鬼馬場じゃないや鬼美濃

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