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細川忠興、結城秀康に行列の先を譲る

2018年11月07日 19:37

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/07(水) 08:53:33.90 ID:xWVo5T5h
細川忠興結城秀康に行列の先を譲る


慶長8年3月25日、征夷大将軍となった家康は御所に参内し拝賀の礼を行った。
その参内の行列のうち、武臣の参議少将の衆は塗り輿で供奉した。
越前参議(結城)秀康卿、豊前参議(細川)忠興卿、若狭参議(京極)高次卿、
播磨少将(池田)輝政朝臣、安芸少将(福島)正則朝臣である。

結城秀康卿は従四位の参議にて、忠興君が上首(従三位の参議)であったので
秀康卿の上に列するところを、(忠興君は)ご辞退なさろうとしたが
家康公は「官位の次第は乱すべきではない」と仰せられた。
しかしそのように取り計らおうと、(家康公が)前もって奏上されたため
秀康卿は(同年の2月25日に)従三位に叙され、忠興君はその次に付けられた。
これは家康公が(忠興君の辞退に)感心されたからだという。


――『細川家記』


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    忠興「おお秀康どの、そのように後ろでなくハナの方へ行かれよ、ささ」
    秀康「…」イラッ
    忠興「なにせそれがしの従者どもには華がありませぬからなあ、ナハハハハ」
    秀康「…」プチ-ン

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    忠興「さればそれがし離れてまいりますのでごゆるりとwww」
    秀康「御手杵持ってこいやあああ!」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※1、2
    そういや結城秀康は梅毒で鼻が欠けてたんだったか。
    しかし三斎殿も京都出身であればもう少し遠回しな言い回しというものを(イヤミったらしいともいう)

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