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江州の滑者共さこそあらめ

2018年11月14日 19:13

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/14(水) 06:37:54.35 ID:Kme0DLVB
永禄11年(1568)9月7日、足利義昭上洛のため六角承禎父子を討伐するべく織田信長は大軍を
催して近江へ出陣され、同8日、平尾村で人馬を休められる。11日には愛知川に着陣し、その近辺を

放火なされた。さて敵地に入ってみれば佐々木六角父子の設けた砦が数ヶ所あったが、織田殿は「諸塁
には目もくれてはならぬ。箕作・和田山両城を攻めよ」と手分けを定め、その後に宿老どもを召し集め

箕作城を攻める手立ては如何するかと評議された。坂井右近政尚が進み出て申すには「箕作と和田山の
間はさほど遠くはありません。敵もきっと互いに図り合って助ける手立てがあることでしょう。

幸いなことに、浅井備前守(長政)は味方であります。まずは和田山を浅井に押さえさせてしかるべき
でしょう」とのことで、織田殿も「もっとである。浅井はこの国の住人にして案内者であるから浅井に

箕作と和田山の間に陣を張らせて、和田山城を押さえさせよう」と仰せになり、佐々内蔵助(成政)と
福富平右衛門(秀勝)両人を浅井方へ遣わしてその旨を命じられると、浅井は「某父子はともに箕作

に向かい戦功を励みます。いかに織田殿の仰せであるとはいえ『和田山城の押さえをして手を虚しくし、
人の戦いを見物ばかりして日を暮らします』と申すことはできませぬ」と返答した。両使が帰って

その旨申せば、織田殿は重ねて両人を使者とされて、「浅井父子はそれならば急ぎ箕作城に攻め掛かる
ように」と仰せ遣わされた。浅井は承り「織田殿の御勢が攻め掛かる時は、某も引き続いて攻め掛かり

ます」と返答した。両使は立ち帰って来ると「近江第一の猛将と聞こえる浅井父子ですが、返答の鈍さ
からは近江侍の武勇の程が思い知られます」と申した。織田殿もこれを聞き給い、

「近江の浮かれ者どもはそんなものだろうよ」(江州の滑者共さこそあらめ)と打ち笑いなさり「それ
ならば我が手の者どもにこの押さえを命じる」と、美濃の三人衆といわれる氏家常陸介

(直元入道卜全)・稲葉伊予守(良通入道一鉄)・伊賀伊賀守(安藤守就)に、和田山の押さえを命じ
られ、また「箕作城の形勢を見て来い」と柴田修理亮(勝家)・森三左衛門(可成)・坂井右近の3人
に扈従・馬廻の侍5百余騎を添えて遣わされた。

――『改正三河後風土記(永禄記・岐阜記)』



441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/14(水) 12:42:34.27 ID:bQ2xyhE3
姉川で備を突き崩されたのはこの時の近江弱兵の先入観が出来てしまったからだろうか
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