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信長の「南蛮甲冑」について

2009年02月01日 00:28

81 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/31(土) 17:48:53 ID:thkOfZjX
信長と言えば南蛮甲冑のイメージを外すことは出来ないですね。
しかし、文献上で日本に南蛮甲冑が輸入されたという年は、1588年です。
着用の確実な遺品もありますが、腹巻形式ですので、イメージ的にはちょっとあわないでしょう。

ただし、大河「天地人」で信長がかぶってる南蛮兜の元ネタはあります。
信雄直系の天童藩に伝わった南蛮道具足です。現在は岐阜市歴史博物館に所蔵されています。

実物の写真はありませんが、これですね。
ttp://www.yonezawa-naoe.com/images/information/odakesyou.pdf
ttp://www.yonezawa-naoe.com/images/information/odake1.jpg
信雄兜

そして、そのイメージ作成は、既に江戸時代からはじまっていました。

信雄が南蛮兜を作って子孫に伝える

兜しかないのは物足りないよね 
↓ 
じゃ、兜と釣り合った鎧を作っちゃえばいいんじゃね?(これが江戸後期) 
↓ 
立派な南蛮胴できたー! 
↓ 
そういや信長公といえば南蛮趣味だよね 
↓ 
これは最初から信長公のものですが何か? 

織田家はかつての天下人の家系として、江戸城中の席次も高かったのですが、不祥事から大幅に
待遇を落とされてしまいました。しかも領地も北方の山形県になり、家中の不満を押さえるために
すがったのが、信長の威光でした。この南蛮具足をでっち上げた時期は、天童へ国替えの時期と
一致します。
移った後も貧乏で大騒ぎでしたが、そこではじめた内職の将棋駒が現在も天童の代表的産業です。




82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/31(土) 19:05:41 ID:IoC9IFvQ
>>81
こういう流れなんだ。ありがとう、良く理解できた。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    言っとくが、史料が見つかっているうちは、だからな。
    鉄砲火薬の売買なんて全く史料に残ってないし。

  2. 名無しのアレ | URL | -

    知ったかのくせに断定口調で語るバカっているよね

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