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フランシスコが正当なる王として

2018年12月01日 16:50

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/01(土) 00:49:10.56 ID:lEMylcGS
事情斯くの如きに際し、薩摩の王(島津義弘)及びアウグスチン・ツノカミ殿(Augustine Txunocanmindonio 小西攝津守行長)は
彼等の手兵を治部少輔(石田三成)の前に出せり。
内府様[徳川家康)は之を見るや、兵士を集中してヨカタ川(Jocatangauwa)の河岸に沿ひて下り、其進出を妨げんとせり。
彼は対岸に二人の強き将軍の指揮下に在る新来の援軍あることを、其軍旗によりて知りしかば、此方の河岸に止りたり。
伏兵を恐れしを以てなり。

両軍相対峙して、機会を窺える間に、全日本を通じて党派は二分して互に戦ふに至れり。

豊後の王國に於ては、クアムビオエンド(Quambioiedo 黒田官兵衛孝高)は、其子甲斐守(長政)より送りたる使者により、内府様の軍の
勝報(岐阜城陥落)に接せり。之に気を得て彼は八千の兵を以てフランシスコ(Francisco 大友義統)を襲へり。
彼は故の豊後王(大友宗麟)の子にて、久しく太閤様の爲に都に止められしが、内閣員(奉行衆)の命によりて放たれ、四千の兵を以て
豊後に帰りしなり。
閣員はフランシスコが正当なる王として此地の臣民を其手に附け、よりてカムピオエンドに抗し得んとの希望なりしなり。

然るに予想は全く反対に出で、フランシスコは國に帰るや直に敗績したり。之が爲に豊後の一國は全く内府様の確保する所となれり。
此を初として内閣員は到る處に反抗に遭へり。
(モンタヌス日本誌)

モンタヌス日本誌の関ヶ原についての著述の一部。大友義統は九州に下って即座に敗北した事になっているわこのせいで奉行衆への反抗が続出するわ


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    かんぴょうえ表記にしか目がいかなかったです…。(小声)

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    それはヨカタ

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