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福島正則、岐阜城を落とした後の書状

2018年12月09日 19:09

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/08(土) 21:11:53.48 ID:ad9LGzCa
福島正則、岐阜城を落とした後の書状


遠路よりの書状ありがたく拝見いたしました。私は羽三左殿(池田輝政)、
左京殿(浅野幸長)と相談しているところです。

一昨日の廿二日に三左衛門尉殿、左京殿、遠州衆が川越えをしようとした際
岐阜衆が少々出てきたので、一戦に及ばれ敵を追い崩し手柄とされました。
昨日は羽越州殿(細川忠興)、加左馬殿(加藤嘉明)と私が稲葉山へと取り詰め
すぐに(岐阜城は)落去しました。
中納言殿(織田秀信)のことですが、色々と降参のことを申されてきたので
小姓ども二、三人と共に尾州へ送りました。

こちらのことで歯がゆいこともあるでしょうが、羽三左、左京殿と談合し
秀頼様の御為によいようにするつもりですので、御心を穏やかにして下さい。
恐惶謹言

                        羽左衛門大夫
  (慶長五年)八月廿四日                 正則 
浅弾正様(浅野長政)


――『浅野家文書』


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    市松「先陣は譲らぬ」
    輝政「…」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    金華山(稲葉山)の東軍侵攻ルートは現在ハイキングコースとして整備されている(瞑想の小径)

    経路は6合目から急に険しくなり、この堅固な山城が一日で落ちたのは意外としか思えない

    麓の岐阜公園には信長居館跡や歴史博物館もあり、歴史好きならば一度は訪れてみて欲しい

  3. 人間七七四年 | URL | -

    名前や官職を略して書いてるのが何かほのぼの

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    確かに当時の名乗りで略したのがよく解りますよね。
    輝政さんの「羽三左」は羽柴姓で名乗りが三左衛門で忠興さんの「羽越州」は羽柴越中守、幸長さんの「左京」は官位の左京大夫で、嘉明さんの「加左馬」は左馬助が官位かつ名乗りだったからで、長政さんの「浅弾正」は浅野弾正少弼ですね。
    で当の正則さんの「羽左衛門大夫」は羽柴はともかく「左衛門大夫」て官位は無いらしいですね。
    後秀頼さんが「秀頼様」て官位でじゃないのかと思ったら当時は中納言だったようです。秀信さんと被るし、偉い人(一応主君ですし)は諱に様付ければ敬意示せているからこれでも良いのでしょうかね?

  5. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    ※2
    「瞑想の小径」は信長が攻めた時に秀吉が攻め上がったとされるコースで、関ヶ原のときの攻撃コースは最短経路だけど一番急な「馬の背」ではなかったっけ?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    秀頼様でふと思ったけど、この書状が書かれた時は7歳で、既に秀頼を名乗ってるけど、秀頼って3歳にして禁裏で元服して幼名から秀頼になってるのが物凄く異例な事だと改めて思いました。
    後々の事考えたら秀吉も焦ってたのかなぁと改めて感じたけふこの頃

    しかし、加左馬殿なんて書かれるとガッツ石松がペ・ヨンジュンをぺ様と呼んだのを思い出す…


  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5殿
    6〜7合目辺りまでは同じルートで分岐します。

    「馬の背」ルートは山頂まで最短経路にして険阻、向かって左側のルートは若干迂回して山頂まで進みますが最終的には合流します。

    どちらにしろ、現代人にはシンドい!戦国武士は凄え!と感心するばかり。

    ロープウェイで山頂まで一気という手もありますが、ドM、もとい戦国の気風を味わうなら一度は徒歩での登山をお勧めします

  8. 人間七七四年 | URL | -

    左衛門大夫は六位相当官の左衛門尉に、五位の人が任官した際の通称です

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