FC2ブログ

掛川城攻め

2018年12月16日 18:59

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/16(日) 18:10:50.20 ID:Fdnir0x/
(掛川城の戦いの時)

永禄12年(1569)正月12日、神君(徳川家康)は今川氏真の籠る掛川城を攻めなさるため御先手
を桑田村に、後陣は曽我山に備えて、小笠原与八郎(信興)・久野三郎左衛門(宗能)は天王山に備え、
渡辺半蔵(守綱)・本多作左衛門(重次)は天王山に備えている諸軍を巡って、囲みを合わせた。

その時、城兵の日根野備中守弘就とその弟の弥次右衛門(盛就)・弥吉は、金丸山で久野三郎左衛門の軍
と合戦した。日根野兄弟が剛勇で奮戦すれば、久野勢は散々に破られた。これを見て岡崎勢が救い来たり、
林藤左衛門・加藤孫四郎などが槍を合わせて厳しく戦い、小林平太夫重直は踏み堪えて敵の首を取った。

城兵は日根野兄弟を始めとして戦い疲れて引き退く。城兵の梶原平三郎は剪綵梅花を兜の前立とし、花々
しく後殿して城に引き入ったのであった。

神君は久野の敗北を大いに御怒りになられ(原注:『武徳大成記』『武徳編年集成』)、17日に大軍を
進めて御本陣を天王山に移され、掛川城に鉄砲を撃ち掛け攻め給えば、城中からも多くの鉄砲を撃ち出す。
内藤三左衛門信成が先駆けして、鉄砲で左腿を撃たれ倒れるのを見て、城兵がその首取らんと馳せ出る時、
信成の兄・弥次右衛門家長は射芸の妙を得ており、馳せ出た敵3人を射倒した。

信成の家士・岡田甚右衛門はその間に主人を担いで陣営に帰ったのである。神君の御馬前での働きなので
御感心はもっとも並々ならぬもので、成瀬藤八郎を御使者に遣わして内藤兄弟を慰労なされた。(原注:
『武徳編年集成』)

――『改正三河後風土記』


スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    藤堂高虎の主君の数がネタになるけど日根野さんもすごいね
    相当優秀じゃなきゃ無理でしょこれ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    掛川城防衛戦は氏真の戦国大名としての意地が詰まっていていい
    落城でも自落でもなく名誉ある開城で堂々と去っていくあたりも実にいい

  3. 人間七七四年 | URL | -

    徳川や北条からすれば氏真に死なれたら困るし

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※1数年前のこのスレでの日根野さんは使えた家がことごとく滅ぶデスノート扱いだったし

    876 名前:日根野弘就の華麗なる仕官歴[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:55:23.63 ID:jaFzDAwo
    斎藤家:滅亡
    今川家:滅亡
    浅井家:滅亡
    長島一向一揆:壊滅
    織田家:木っ端微塵
    豊臣家:滅亡
    西軍に内通:大敗北

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    うーんこの異能生存体

  6. 人間七七四年 | URL | -

    米4
    北条家を追加で

  7. 人間七七四年 | URL | -

    日根野さん最期は家で腹を切るも段取りが悪くてなかなかすんなりと死ねなかったんだっけ。
    やっぱり(不運を)持ってるなぁ。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    殺しても死なないようなさすがのしぶとさ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    実際戦国武将で求められるのは、日根野さんタイプなんだろうな
    知勇兼備にして、仕えた家にはちゃんと仕える

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/11676-7b4bf49f
この記事へのトラックバック