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どこもかしこもみなやけ申候

2019年01月05日 18:20

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/04(金) 21:11:35.24 ID:+NkA4Ls3
どこもかしこもみなやけ申候


以下は元和7年1月に江戸の徳川義直の新邸から出火した火事について
13歳の池田光政が国元にいる父・利隆の乳母・栄寿尼に報じた手紙。

________________________________________

一ふて申し参らせ候。
こゝもと正月廿四日のなゝつぢぶんからおわりのちうなごん様(徳川義直)、
なへしま(鍋島)、くない(池田忠雄)、扨、まさむね(伊達政宗)、もりいまさか(森忠政)、
おれかやしきはかりやけす候、さこん殿(池田輝澄)、うきょう殿(池田政綱)、
てらさはしま(寺沢広高)、廿四日の七つちふんからひるの四つしふんまてやけ申候、
どこもかしこもみなやけ申候めてたく、かしく。

   正月廿四日        新太  幸隆(花押)
      うはゑいしゅ 参

     おわり(尾張)     みと(水戸)       きの(紀州)
       △            △            △
              このふたついゑはのこり候

めんめんに文にてもかへすかへす申候、はんすれとも
いそかしく候間まつ此むきにて候、かしく。
________________________________________

大名屋敷が25軒も燃える大火事で他にも上杉、毛利、島津などが焼けたらしい。



567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/04(金) 21:35:36.19 ID:0RJw0w3F
子供にまで"まさむね"と書かれるのか
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    お江戸は消毒だー!

  2. 人間七七四年 | URL | -

    「もりいまさか」は多分「もりみまさか」が正しいんじゃないかな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >>2
    発音の問題で"み"の子音が消えているんだろうから合ってるよ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    めてたく…

  5. 人間七七四年 | URL | -

    まさむね…

  6. 人間七七四年 | URL | -

    子供にも親しみを持たれる独眼竜さんであった。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    >まさむね
    マジレスすると、よほど有力で、高名だったからこそなんだろね。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    てらさはしまの「しま」はどこから来たんだろうか

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    子音消失!そういうのもあるのか

    ※8
    「寺沢志摩守」だと思う

  10. 人間七七四年 | URL | -

    書状とかに諱で書かれるのはかなりのビッグネームだけだからな
    政宗以外だと家康、秀吉も天下人になる前はそんな感じだったし

  11. 人間七七四年 | URL | -

    戦国時代の大大名当人が生き残ってると諱呼びってイメージ

  12. 人間七七四年 | URL | -

    旧甲州街道付近から中央線付近まで丸々燃えちゃったって事かな?
    かなりの大規模火災だったんだね

  13. 人間七七四年 | URL | -

    光政(この時は幸隆だが)は三十数年後には領国で江戸大火(明暦の大火)の報聞く事になるんだよな。
    本当に江戸は火事が多い。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    大名屋敷の地図を見たことあるけど、隣近所がみんなくっ付いてるから一軒燃えれば、
    隣近所みんな燃え移るのは簡単でしょうね?

    でも大大名や大身旗本の屋敷は庭付きでかなり大きい筈だから、それが燃え尽きてしまうって、
    どれだけの大災害だったんだろう?特に尾張藩なんて3軒とも大きいのに

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    埼玉県所沢市の狭山不動尊で移設された江戸期の大名屋敷の門やら塔やら見た事あるけど、当然の様に木造な訳だけど、江戸前期当時の大名屋敷の壁って土塀じゃなかったんかな?
    土塀ならある程度延焼は防げそうだけど、屋根なんかに散った火の粉から延焼したのかな?

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※15
    現代の話だけど、2016年末の糸魚川大火災は
    火事で舞い上がった火の粉が強風であちこちの瓦屋根の隙間に入り込んだのが原因の一つなので
    風の向きと強さ次第では十分ありえそうです。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※15・16
    この頃の大名屋敷は贅を尽くした作りが多く、この辺りの作りに関しては江戸東京博物館の越前藩の屋敷を
    見ていただければ分かる通り、かなりの豪華さと広大さを誇っています。
    壁等もなまこ壁を始めとした漆喰を使っていた屋敷もあったはずです。

    つまりは、それらの大火対策も一応採られていたにも拘らず、防ぎ様がなかった程の火力だったと見るべみ
    だと思います。その後は武家諸法度と明暦の大火でお金と材料が限られたお陰で、質素作りが多くなって
    いきました。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    ※16,17
    ご教示有難う。
    調べたら関東大震災の時も火災旋風が起きて相当数の方が犠牲になってるんだけど、火災旋風自体は局地的に発生する物らしいけど、やはり日本有数の平野部であった江戸市中だけにそういう害も酷かったんですかね…
    対策しても対策しても度々江戸の町は萌えてるし

  19. 人間七七四年 | URL | -

    ※18
    江戸が萌えるてなんか想像したらw
    と冗談はさておき、木造建築が密集していると大火はローマ大火やロンドン大火の様に洋の東西問わず避けられないかと。
    後※17の言われる様に初期の大名屋敷の門は華麗であちこちの日光東照宮の陽明門が有る様だったそうで、それを見物して廻る人が多く居たそうな。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    ※19
    前述の狭山不動尊に有る家光が建てた秀忠の霊廟の勅額門とか御成門観ると流石に近世修復されたものだとは思うけど凄いもんね…

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