575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/09(水) 19:56:15.67 ID:O6+KCoqz
天正10年(1582)午の年、信長公は甲斐国の武田四郎勝頼を御追罰のために、近江安土の
御城より御馬を出された。ただし先手は信忠公に仰せ付けられ、城之介殿は岐阜から御出陣なり。
家康卿は駿河口より御入りになられ、その他にも方々口々より飛び入れば、勝頼は甲府の家城を
開け退かれ、同国の田野里山林で討ち果てられた。その後、御仕置を残すところなく仰せつけら
れて駿河国を家康卿に進ぜられ、同年4月初め頃、信長公は安土の御城に御馬を納められた。
そこに家康卿が駿河国御拝領の御礼のため、穴山殿を御同道されて御上洛の由を聞こし召されて、
明智日向守の所をその御宿として仰せ付けられた。
そのようなところに、信長公は御もてなしのあまりにか、肴などの用意の次第を御覧になられる
ため、御宿を御見舞いになると、夏ゆえに用意された生肴は殊のほか鮮度が落ち申していたので、
門へ御入りになられるや風に乗って悪臭が吹き来たり、その香りを御嗅ぎ付けられて、もっての
ほか御立腹された。
信長公は直ちに料理の間へ御成りとなられ、「この様子では家康卿の馳走はできない!」と御立
腹になられて、堀久太郎(秀政)の所へ御宿を仰せ付けられたのだと、その時節の古き衆の口か
ら以上の通りに受け賜った。
信長記(信長公記)には『大宝坊の所を家康卿の御宿に仰せ付けられた』とある。この宿の様子
は二通りあると御心得なさるべきだろう。
日向守は「面目を失った!」と木具膳や肴の台、その他用意した取り肴以下を残らず堀へ打ち込
み申した。その悪しき臭いは安土中へ吹き散らし申したと相聞こえ申し候事。
――『川角太閤記』
576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/10(木) 11:01:21.60 ID:+0PwuB4l
信長「このアライを作ったのは誰だあっ!!」
577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/10(木) 15:07:09.56 ID:T4ak4Lvy
お堀ってゴミ捨て場でもあったんだね
天正10年(1582)午の年、信長公は甲斐国の武田四郎勝頼を御追罰のために、近江安土の
御城より御馬を出された。ただし先手は信忠公に仰せ付けられ、城之介殿は岐阜から御出陣なり。
家康卿は駿河口より御入りになられ、その他にも方々口々より飛び入れば、勝頼は甲府の家城を
開け退かれ、同国の田野里山林で討ち果てられた。その後、御仕置を残すところなく仰せつけら
れて駿河国を家康卿に進ぜられ、同年4月初め頃、信長公は安土の御城に御馬を納められた。
そこに家康卿が駿河国御拝領の御礼のため、穴山殿を御同道されて御上洛の由を聞こし召されて、
明智日向守の所をその御宿として仰せ付けられた。
そのようなところに、信長公は御もてなしのあまりにか、肴などの用意の次第を御覧になられる
ため、御宿を御見舞いになると、夏ゆえに用意された生肴は殊のほか鮮度が落ち申していたので、
門へ御入りになられるや風に乗って悪臭が吹き来たり、その香りを御嗅ぎ付けられて、もっての
ほか御立腹された。
信長公は直ちに料理の間へ御成りとなられ、「この様子では家康卿の馳走はできない!」と御立
腹になられて、堀久太郎(秀政)の所へ御宿を仰せ付けられたのだと、その時節の古き衆の口か
ら以上の通りに受け賜った。
信長記(信長公記)には『大宝坊の所を家康卿の御宿に仰せ付けられた』とある。この宿の様子
は二通りあると御心得なさるべきだろう。
日向守は「面目を失った!」と木具膳や肴の台、その他用意した取り肴以下を残らず堀へ打ち込
み申した。その悪しき臭いは安土中へ吹き散らし申したと相聞こえ申し候事。
――『川角太閤記』
576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/10(木) 11:01:21.60 ID:+0PwuB4l
信長「このアライを作ったのは誰だあっ!!」
577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/10(木) 15:07:09.56 ID:T4ak4Lvy
お堀ってゴミ捨て場でもあったんだね
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コメント
人間七七四年 | URL | -
なんで城之介なんだろ
( 2019年01月10日 18:17 )
人間七七四年 | URL | -
※2
信忠が秋田城介に任官されていたから。
因みに秋田城は秋田市に有る佐竹氏の居城の久保田城(異称では秋田城も有るらしいが)とは違うよ。
古代に朝廷が対蝦夷戦争の為出羽に置いた方の城。
秋田氏の秋田は秋田城介に由来するらしい。
( 2019年01月10日 18:52 )
※2 | URL | -
スマン※1だった。
( 2019年01月10日 18:54 )
人間七七四年 | URL | -
※1
えっ信忠が秋田城介だからだと思うけど
( 2019年01月10日 18:55 )
人間七七四年 | URL | -
秋田城介は鎮守府将軍の登竜門なんだよな
信忠は本能寺がなければゆくゆくは鎮守府将軍になっていたはずで
三職推任問題と合わせて信長の幻の構想を推測する人もいる
( 2019年01月10日 19:11 )
人間七七四年 | URL | -
それは知ってるけど三位中将なのに何で城介呼びなんかな?と
( 2019年01月10日 19:32 )
人間七七四年 | URL | -
松平忠輝も従四位下左近衛権少将に任官されたのに生涯、上総介で通したって話があるけど何か官職に好みやこだわりが有ったんだろうか?
( 2019年01月10日 20:20 )
人間七七四年 | URL | -
※6
羽柴何とか侍従を貰った人でも結局呼ばれ方は蒲生飛騨なり細川越中なりだし
結局識別のしやすさとか本人のフィーリング次第でいかようにもなるもんなのかもね
( 2019年01月10日 22:11 )
人間七七四年 | URL | -
受領と官途の違いかと
( 2019年01月10日 23:21 )
人間七七四年 | URL | -
しかし、いくら腐りかけた魚とはいえ城中どころか町中に臭うってどんだけ大量にあったのだろうか…
じつは鮒ずしだったとか。
( 2019年01月11日 10:10 )
人間七七四年 | URL | -
※10
実際鮒寿司説有り。土地柄もあって手にいれやすかったと思われます。
( 2019年01月11日 11:09 )
人間七七四年 | URL | -
忠次「その悪しき臭いは浜松中へ吹き散らし申した」
( 2019年01月11日 11:56 )
人間七七四年 | URL | -
>堀に打ち込み
お堀にぶちまけた
秀政に(不満を)ぶちまけた
を掛けてるのかな…いやそれはないか
( 2019年01月11日 14:04 )
人間七七四年 | URL | -
忠佐「なにか臭いますな」
家康「…」
( 2019年01月11日 14:06 )
人間七七四年 | URL | -
まあ間違いなく創作だけどね
( 2019年01月11日 14:35 )
人間七七四年 | URL | -
>>秋田城介読み
むしろそれ以外の逸話での呼ばれ方って「信忠公」「信忠卿」「信忠様」以外殆ど見たこと無いよね?
せいぜい通称で「織田三位中将」とか「勘九朗」ぐらいじゃないかな?
( 2019年01月11日 17:41 )
人間七七四年 | URL | -
鮒ずしは近江の名産なんだよなあ
明智の領地も近江坂本だし
( 2019年01月11日 23:10 )
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