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合戦も仕掛けず、人質も出さず、

2019年01月13日 17:40

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/13(日) 15:43:00.78 ID:Zdhm48/O
石田三成らの挙兵により、徳川家康が宇都宮から江戸へと出立する際、佐竹義宣や秋田城介(秋田実季)
らは、石田三成に一味していると考えられていた爲、『上方と一味に候哉、そうではなく今回
我々に同心するというのであれば人質を出し、我らへの一味の験を顕すように。』と、花房助兵衛、
島田次兵衛の両人を使いとして佐竹へ仰せに成った。

これについて義宣は父親の義重に「これはどうするべきか」と相談した。義重はこう言った

「私は隠居であり、万事はお前の心次第にすべきである。しかしながら上方に既に妻子を人質として
置いているからといって、彼等を不憫に思い、心では家康に一味したいと思いながら、人質故に
上方に一味するような事は有ってはならない。戦国の頃は、人質を棄て義兵を起こす事が武家の習いであった。

もし又、とにかく上方に一味したいと考えているのであれば、上杉景勝、秋田実季と申し合わせ、
早々に軍を起こし家康を食い止めるべきだ。」

しかし義宣はこの言葉を用いず、合戦も仕掛けず、人質も出さず、徒に時を過ごした。

(武功雑記)



630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/13(日) 19:33:32.84 ID:/HqfRDEu
>>626
後世の人間の感覚だと、関ケ原の頃はまだ戦国自体だけど、当時はもう戦国の世は終わったって意識だったんだな

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/13(日) 19:48:06.46 ID:mKSNkryl
太閤殿下のおかげやで

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/14(月) 03:05:53.78 ID:MKG9TZe7
>>631
惣無事令の有無はさておき、小田原→奥州仕置で天下統一、各大名が実力で領土をぶんどるのはもうありえず、戦国は終わったという認識になるでそ。

ただまあ、戦国的な気風は綱吉が将軍になるまで続くわけだけど。

638 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/01/14(月) 09:53:34.15 ID:xO1Bprze
>>636
>ただまあ、戦国的な気風は綱吉が将軍になるまで続く

(改易しまくる)幕府が悪いよ幕府が~

ムダに浪人増やす事になったのもなぁ

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/14(月) 09:58:48.12 ID:IEDTryi4
改易しないと舐められるしなあ

640 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/01/14(月) 12:21:36.97 ID:2qBLxhgW
>>630
おれは60歳だが、

15歳で関ヶ原に従軍してから、

37年間、弓鉄砲を使う場面は1度もなかった。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    どうしても助兵衛に反応してしまうスケベ野郎

  2. 人間七七四年 | URL | -

    「スケベエ」じゃなく、多分「スケノヒョウエ」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    宇都宮といえば、釣り天井。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    家康に味方していたとしても江戸周辺を譜代と一門で固めたいから、
    結局は何らかの理由で常陸から追い出されてたんじゃないのかな?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    家康「敵対したわけじゃないし」
    正純「領地没収の上、遠方へ」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    初期幕閣の事件に必然連座してしまって改易よりはまだマシかもね

  7. 人間七七四年 | URL | -

    北条氏が倒れてから関ヶ原まで10年だもんな
    朝鮮行ってた奴ら以外はそういう認識もってても不自然ではなかろう

  8. 人間七七四年 | URL | -

    史実の佐竹は景勝に通じてたから西軍扱いだけど政宗とも和睦しようとしてたり
    単に勝ち馬に乗ろうとしてただけって可能性はあるね

    ※4
    大久保長安事件で連座するまで里見もそのままだったから
    別に常陸に佐竹が居ようと気にしないんじゃないかな

  9. 人間七七四年 | URL | -

    浪人問題は深刻だが統制不足や問題ある大名放置する方がよっぽど問題だと思うのだが

    それに改易前に再三の改善要求したりしとるし

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    それはありません。必ず移封しますよ。関ヶ原以前の領地は秀吉の采配も関連するから、家康だけの意向で
    動かす事は出来ない。だから関ヶ原を機に各地の大名を加増を名目に遠方に追いやった。

    実際江戸の火事が見える唐沢山城から佐野信吉が改易されています。これは彼が親豊臣家でもあるからですが、
    そんな重要な地に譜代・親藩以外は安心して置けないって意味です。

    つまりはどっちに転んでも佐竹家は大禄貰っている以上、絶対に排除したい大名家なのです。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    大田原(よし、ウチらは警戒されてないな!)
    大関(おたくらは奥州街道の要衝だけどな)
    喜連川(おかげで大名行列のたびにぼろ儲けよ)

    まあ下野界隈の小領主と常陸国主は比較しえないけどもね。
    佐野は縁戚が富田信高・大久保長安・大久保忠隣というトリプル役満だからちょっと極端な例じゃないかな。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    ※11の内容でも読んでよーく考えてみてよ
    そもそも関ヶ原の場合、西軍から没収した領知を再配分したから
    新しい国持ち大名が西国に集中しただけの話だよ

    当時の東海なんて領知が入り乱れてて再配分向きじゃないからさ

  13. 人間七七四年 | URL | -

    一門含めて佐竹家って徳川家と縁戚結んでたっけ?
    何らかの関係性の無い大名家って余り近くに置いておかないんじゃないかな?
    特にどっち付かずな対応したなら尚更に
    そもそも重要な地を納めようと、小大名と大大名の立場を比べる方が無理だろうけどさ
    朽木さんは・・・まぁ別格ってことでw

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    >関係性の無い大名家って余り近くに置いておかない
    里見「そう思って大久保忠隣の娘を娶ったのが命取りになるとは」

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    他人の話に乗っかるだけで具体的な意見が無い状態での否定はちょっと卑怯じゃない?

    秀忠時代でも縁戚の筈の前田家ですら改易の危機があったし、その周りも越前を始め徳川家の粋がかかった
    大名で囲まれてますね?北陸も小大名だらけだけど、改易等で徳川系大名になってるし。 
    各地の重要な街道沿いの領地は親徳川家の大名か、親藩及び譜代大名が抑えてますよね?
    例え、親藩譜代じゃない領地も毒にも薬にもならない連中ばかり(あ・大関さんは存在が毒)
    それを「たられば話」とは言え、「佐竹家が東軍に味方しても移封が無かった」と言う根拠が全く無いのはねぇ

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※15
    もし幕府が江戸の安全保障を第一とするのなら、関ケ原のあと里見こそ真っ先に飛ばしていたと思うんだ。
    上総は常陸どころじゃなく江戸から近いし、里見の水軍からすれば東京湾など一衣帯水。
    山陰あたりに加増移封して譜代を入れた方がよっぽど安全だが、そうはしなかった。
    結果的に里見は改易されたけど、位置的に危険だからという理由じゃないのは明らかだ。

    佐竹の場合も「ちょうどいい口実が飛び込んでこない限り」現状維持以上のことはできないと思う。
    というか関ケ原の折に積極的に味方しなかったことが正に「ちょうどいい口実」だったと思う。

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