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筑前守殿は城介様に恋慕故

2019年01月23日 22:33

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/22(火) 21:18:36.57 ID:lazxmLUg
柴田殿(勝家)の三七殿(織田信孝)を天下の主に取り立てたいとの思案は、柴田殿が三七殿の具足始
を致された故と聞いている。この御契約故、後に柴田殿と三七殿は御懇意になられたと聞く。

秀吉は城介殿(織田信忠)と御懇意であられたと聞いている。その子細は、城介殿が御若衆の時に御公
家衆などは城介殿に御恋慕なさった。これを城介殿は御難しく思し召され、その御様子を秀吉は見及び
なさると、

「それならば、私に御目を掛けなさっていると世間に御披露なさいませ。そうすれば御気難しきことも
ございますまい。その上で私も本心から御難しきことは申し上げませぬ。その他のことも、その通りに
なさるのがよろしいでしょう」

と申し上げられた。信忠様はこれをもっともだと思し召されたということなのか、秀吉と御知音のよう
に世間で成り行き、ますます後々も御目を掛ける振る舞いをなされたという事である。

信長殿が御妹婿の浅井殿を御成敗なされて、内々にその後家をどうするかと思し召されていたところ、
三七殿は「柴田に遣されますように」と仰せ上げられた。また城介殿は「筑前守に遣されますように」
と仰せ上げられた。

そんな折に朝倉を御追罰なされ、その諸職一円を柴田に遣されて柴田は殊の外大名となられた。その時
に三七殿は、「ただ柴田に遣しなさいませ。柴田が大名にもなられた以上は、御兄弟となられましても
苦しからぬことでしょう」と仰せ上げられ、信長殿も「もっともだ」との仰せで柴田に遣しなさった。

この由緒故に三七殿を柴田は引き立てなさり、筑前守殿は城介様に恋慕故、その因みをもって吉法師様
を取り立てたいと思し召し、互いに数奇の争いとなったと承り候事。

――『川角太閤記』


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    明治期(多分)の衆道研究で秀吉と信忠が衆道関係だったって
    明らかなトンデモ説があるんだけど川角太閤記が元だったのかな
    後の信雄の扱い見ても、三法師はいわゆる嫡流扱いはされてないけど

  2. 人間七七四年 | URL | -

    アッー

  3. 人間七七四年 | URL | -

    これ本当に『川角太閤記』に書いてあるの?そうだとしたら、ちょっと『川角太閤記』自体の信憑性がガクーガクーと100レベルぐらい落ちたわ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    太閤記を何だと思ってるんだw

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    エアプ乙
    落ちるほどの信憑性はないぞ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉は右側なのにブサイクだから相手が居なかっただけなんだな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    以前ココだったか?ドコか忘れたが、信忠と秀吉は当時珍しかったノンケ同士で仲が良かったってのは見た記憶あるな。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    二人の仲がいいからこういうゴシップがあったってことなんだろうね
    家康と直政みたいなもんで

  9. 人間七七四年 | URL | -

    老け専のチビ専の不細工専とか信忠はかなりのマニアなんだなw

    仲が良かったというのはわりとよく見るからそうなんだろうけど、
    どちらも能好きで趣味も同じだし

  10. 人間七七四年 | URL | -

    いらん虫を寄せないための噂としか思ってなかったんだけど、本当に思い合ってたとしたら信長亡くなった後の秀吉は一層重用されてたかもしれないね。
    こじつけに過ぎるけど、賤ヶ岳の戦いも起こるべくして起こった事だったりするのかも。

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