FC2ブログ

私に吉法師様の御守りを

2019年01月25日 17:40

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/24(木) 20:40:30.79 ID:OZsAZlBz
(清州会議の時)

「それでは吉日を選び、吉法師様への御礼を定める」と、勝家(柴田勝家)は申し出された。それより
「日柄を見よ」とその役の者に申し渡され、ややあって談合は終わり、その日から4日目に御礼は定め
られたとの事である。

「それでは御礼の次第目録を作れ」と、まずは御一家衆の御礼目録の巻物1巻ができた。またその次に
国大名衆の御礼の目録が別紙に1巻できた。「国大名衆は柴田修理殿、次に滝川左近殿(一益)、丹羽
五郎左衛門殿(長秀)、それから羽柴筑前守を目録に書き付けよ」とのことだった。秀吉はこれを御見
及びなさると、

「勝家と各々らへ訴訟がござる。御聞き分けになられればかたじけない。各々も内々に御存知のように、
信忠様がとりわけて私に御目を掛けられた子細(>>652)がござるが、御存知なので申し上げる必要も
あるまい。特別な訴訟ではござらぬ。私に吉法師様の御守りを仰せ付けられて下され。

私は早々と年寄りになったので特別な望みもござらぬ。城介様(織田信忠)に御奉公致すと心に取り置
いているので、この吉法師様を信忠様と存じ奉り、随分と御奉公を致したい。とりわけて申し上げる子
細はござらぬ」

と仰せ出された。これに勝家が「勝家を始めとして、秀吉が訴訟と申し出された時にはどのような事か
と各々存じたが、これは以ての外に心安き訴訟だ。我らとしても同心致す。各々もきっと別条あるまい」
と申された。

これにその他の大名衆も「貴所(秀吉)に信忠様が御目を掛けられたその様子は隠れ無きことでござる。
昔を思い出されて、吉法師様の御守りと仰せられたことは感じ入り申す。筋目を立て申し上げたうえに、
ひとしお頼もしき御覚悟である」と、各々申されたのだと聞いている。

こうして、その目録に秀吉は御入りにはならなかった。それから、その次々に御礼の次第目録を定めて
納めたとの事である。それより、柴田殿を始めとして各々は御城を出られ、屋形屋形へと戻られた。

――『川角太閤記』


スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    三法師ではなく吉法師という幼名の資料もあったんだなあ

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/11740-79ed251f
この記事へのトラックバック