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そもそも賤岳の合戦というのは

2019年02月05日 18:12

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/04(月) 22:03:16.83 ID:3S04r08d
そもそも賤岳の合戦というのは秀吉卿一世の大利にして、天下の人の誰がこれを知らないことだろう。

とりわけ七本槍の名はもっとも高く、婦女に至るまでこれを口にせぬ者はいない。かつこの山は麓より
絶頂に至って1里ほどのその絶景を言えば、余呉・琵琶両湖を直下にして比良・伊吹の二山を巽坤に見
渡し、その眺望に至っては類なきものであろう。

そういうわけで、君が世の今は遠い国の人々も、この山に登って遊覧しなさることが日々あるものだか
ら、折々に私などにも、砦の跡や地理の次第を尋ねなさる人々もいるので、私は不能不才ながらこの岳
の麓に住んでいるから、この戦いをあらかじめ知っていなくてはと、この辺りの里々の某の秘蔵で某の
記録という『賤ケ岳合戦実録』というものがあって、密かにこれを借り求めて閲覧した。

その文に詳略はあれどいずれも一体で、もとは1人が著述したものかと思われる。また百年の後に作っ
たような事もあった。またこの辺りに流布する物ながら、かえって地理に合わない事もあって、実録と
いうのも訝しい事ばかり多かった。

かの世上で広まる『太閤実記』『太閤真顕記』を始めとして、『北国太平記』その他書々にこの合戦の
次第を著しているといえど、いずれもその意は不同で、いずれが是で非なのか分からない。

近頃は『絵本太閤記』という物が出て、もっぱら世に広まっている。その中の賤ケ嶽の段の著述の節は
著者や画工などがこの山に登って地理をうかがい、またこの辺りの実録などと言われる物をもよく聞き
正し、あれも取ってこれも捨てずして著述した物だから、これ以上に面白さの及ぶものもないだろう。
賤ケ岳の合戦を夜戦としたり七本槍の戦う相手を定めたのは、真顕記をもとにしてこの辺りの実録とい
うものに拠ったものであろう。

私はある時、とある書店のもとでこの戦いのことを語り出したところ、書店は曰く「『太閤記(甫庵太
閤記)』という一著書があるけれども、その文体は華やかではないので、これを見たいという人もいな
いから紙魚の腹を肥やしている」と投げ出したものを見ると、実記や真顕記の類ではなく、まったくの
古文で実々しい事が多かった。

かつ著者の名は“小瀬甫庵”と記していた。小瀬甫庵は加賀の儒生で、信長の祐筆の太田和泉守牛一と
いう者の友であったのだということだ。その時代の人でこれはとても印刻の時代も古く、旧記といえよ
う。これなどは実録とも言うべきか。しかし前述の書々とは戦いの次第がまったく異なる事もあって、
また訝しく思った。

ある日、浅井郡高田という里に渡辺某がいて、私のもとにやって来たことがあった。主(渡辺某)曰く
「あなたは賤岳の麓の人だから、地理はもちろん故実も聞いてらっしゃるでしょう。そのまま語ってく
ださい」とのことだったので、私はかの不審のあらましをありのままに語ると、主は曰く「予の祖先に
渡辺勘兵衛(了)という者がいて秀吉卿に従い奉り、そこかしこの戦場に赴いたあらましを自筆して残
した物がある」と一帳を見せなさった。その中でまず賤ケ嶽の戦いを見ると僅かに紙3ひらほどだった
が、その趣意は甫庵が著述したところと付節を合わすが如くであった。

私はここに至って大いに嗟嘆して甫庵の太閤記の実なることを知る。これよりかの書々を用いず、もっ
ぱらこの書を信用し、すなわちその中の第五第六の二巻を抜き写し、私に『賤嶽合戦記』と外題して上
下の二巻となして人々に風聴致したのは、愚かな心で捻くれて思い悩んだからなのだろうか。

この度、東の同胞のもとより申し遣されたやんごとなき御方より、賤嶽地理の図や合戦の次第を記す物
を望みなさり、日はなくとも書き写して遣してほしいとの旨を申し遣された。

それならば良き筆を持ちなさる人に助けて頂かなくてはと、あちこち頼んでも誰か助けようという者も
いないので、私などが見る甲斐もなき筆で寒夜の灯火をかかげて写し終わるままで、脱字誤字はいくら
もあるだろう。よくこれを察し、よくこれを考えてなさって頂きたい。「何事も山賤が写したものよ」
と見許しなさって、私の不能を憐れみなさって頂きたい。

なお詳しくは印刻の本を尋ねて読みなさるべし。この辺りの実録帳物を見ることをゆめゆめ望みなさっ
てはならないと、その後ろの方に記し申した。

文政2年卯臘月上旬記之畢      湖北黒田住人 西川与三郎記之

――『賤嶽合戦記 奥書』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    なんだか、とてもいい話だな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    甫庵太閤記でも他の軍記物よりはかなりマシって話だな。さすがに同時代人と言う事ではある。
    しかし牛一の文体を愚直と馬鹿にして世間受けを狙ったはずの甫庵さえ、幕末には「その文体は華やかではないので、これを見たいという人もいないから紙魚の腹を肥やしている」という評価になってんのか

  3. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    渡辺某の一冊の方が、甫庵太閤記を参考に作成されていたりしてw

  4. 人間七七四年 | URL | -

    曲りなりにも戦国時代の人である甫庵と、ずっと平和で技巧を凝らすことばかり考えてきた江戸時代の人とでは
    色に違いが出て当然

  5. 人間七七四年 | URL | -

    史料:牛一
    事実を基にしたフィクション:甫庵
    火葬戦記とかなろうの類:江戸中期の軍記物

  6. 人間七七四年 | URL | -

    「火葬戦記」てちょっと面白そうと思ってしまったじゃないか

  7. 人間七七四年 | URL | -

    某の一帳は渡辺勘兵衛軍功覚書だったのだろうか
    確かにあれの賤ヶ岳の記述はそんなに多くはない

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