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まだ若年の身でそれぞれ敵を討ち取り

2019年02月07日 09:38

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/07(木) 03:00:58.11 ID:/3anshgn
まだ若年の身でそれぞれ敵を討ち取り


(花隈城の戦いのとき、池田恒興は事前に所々に向城を建てて家臣を詰めさせていた)

花隈城から生田の森(生田神社の後方の森)の西の金剛寺山(現在の大倉山)を攻め取ろうと
足軽が出てきて、(家臣の)伊木清兵衛、森寺清左衛門が出陣し大いに戦った。
北の諏訪山に布陣していた信輝公(恒興)、之助公(元助)はこれを見て出陣し、固まって
戦っていると敵はたちまち浮立って旗色が乱れた。

そこを之助公、古新公(輝政)が轡を並べて真っ先に馬を入れて敵を追い散らされたので
敵はこらえかねて、すぐに下知をして城中に逃げ入ろうとした。
両君もすぐに追い詰めて、城の柵際で御兄弟は共に敵を組み伏せ、それぞれ首一つ討ち取って
本陣に帰ろうとしたが、城兵がこれを無念に思ってか、多くが後を追いかけてきた。
両君も危ういところだったが、御先手の秋田加兵衛、堀尾與左衛門、竹村小平太、岩越久左衛門
高木宮など多くが駆けつけて奮戦したので、再び敵を城内に追い込んだ。
このとき、加賀半七があまりに勇んで戦っていたためか討ち死にした。

城兵はまだ屈せず防戦しており、その上五輪作右衛門という大剛の勇士が古新公を
討ち取ろうと駆けて来たので、古新公は引き受けてしばらく戦った。
そこを高木宮が駆け塞がり、一緒に切りかかった。
主従はまだ若年だといえども、その勢いは甚だ勇猛であった。
五輪もここを第一と戦い、勝負は未だ決することがなかった。

信輝公はこれを見て多勢を横合いから駆け入らせたので、城兵は辟易し敗れて逃げ入った。
五輪もただ一人戦っていたものの、味方が引くのを見て引き下がろうとしたので、古新公と
高木宮は一緒に追いかけたが、前に蓮の池があって進みにくかったため城に入られてしまった。
このとき宮はあまりにも身を揉んで働いたので、短刀が鞘走って難所に落ちてしまったが
敵を追い払って、落とした短刀を拾い上げ鞘に収めてしずしずと帰ってきた。
天晴勇士の骨柄かなと人々は感動したという。(高木宮は)時に行年十三歳であった。

信輝公もその勇猛をお褒めになり、(高木宮は)名刀を賜った。
名刀は和泉守(兼定)の長さ二尺二寸のもので、子孫が相伝し家の宝としている。
宮は成長して高木外記*と名乗った。
また信輝公は今日討ち取った首実検を行ったが、之助公廿二歳、古新公十七歳のまだ若年の身で
それぞれ敵を討ち取り、首を提げて並んで出てこられた。
信輝公はこれをご覧になって、強くお喜びになり不覚にもホロリと感涙された。
御側にいる人も、共に感涙をそそいだという。


――『池水記』

* のち鳥取藩士。池田光仲が幼少の際に鳥取城代を務めた。


829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/25(木) 02:51:49.68 ID:cabIDRZ6
平成21年に各務原市へ寄贈され解体した時に
大垣城の門と解ったのも驚きだが
移築先が伊木清兵衛縁の鵜沼であった事に
歴史のロマンを感じる

池田恒興の清兵衛への恩に酬いる気持ちが
この現代に巡ってくるとはなぁ

830 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/04/25(木) 05:20:16.23 ID:cabIDRZ6
>>829
https://www2.og-bunka.or.jp/bunka/news/data_466.html


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    信輝の時点で萎える

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