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大指物の故であった

2019年02月22日 18:56

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/22(金) 13:51:48.28 ID:lJC8o5NJ
小田原の陣の際、山中城攻めの時、中村式部少輔一氏の従兵、藪内匠は度々の誉れある剛の者であったが、
この時も一氏の手の中で一番に城下に附いた。しかし本陣から遠かったため、総大将である秀吉はこれを見ず、
その後に藪の友である渡辺勘兵衛(了)が、鳥毛の半月の大指物を指し、黒い馬に乗り、ただ一人山の尾崎より
城に乗りかけた。これを秀吉は見て「何者か」と姓名を問われ、渡辺は感称に与った。
彼が武名を挙げたのは、大指物の故であった。

(武将感状記)

続き
藪内匠正照と渡辺勘兵衛



757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/22(金) 16:58:37.12 ID:CQQ3FpkM
証明できない一番乗りなんて意味ないよね
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    entry-5583にもある話ですね
    本スレ※にもある通り武士は目立ってなんぼだけど、主君の中村一氏は経緯を知っていて藪の評価を上においた
    渡辺勘兵衛も藪の戦功は知っていたから強くは言えないけど天下人に認められたのに何故?って不満が溜まる
    それが高じて中村家を退散する原因になるけど、戦国武将のメンタルでは誰が悪いって話でもないよな
    やっぱ正直に『誰それも一番乗りした』って話しておかないと自他共に遺恨が残っちゃうな。主君も二人共功績を認めるって話も多いし

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